「心そのもの、命そのもの」
【4】 西洋の慢性病
ともかく念に2通りの、東洋と西洋がある。もう少し、ここで見ておきましょう。
一体、この2通りの念が意になる、これはもう極めて基本的なとこでしょう、人の。どちらがノーマルで、どちらがアブノーマルか。これは幸に猿というものがある。猿をよく見てみますと、猿はくだもの食べて生きてるでしょう。だから真っ先に、「季節は」と思うでしょう。それだと雰囲気だから後頭葉。で、後ろ回りに決まっている。
で、そんな風にして人になったんだから、後ろ回り、つまり東洋人がノーマルタイプなんです。で、西洋人の方は、これは病的だということになる。一体どうして、こんなに病的になったのかというと、これは狩猟民族的生活を長くやったから習慣がついたんだと思う。狩猟民族やってますと、「ハッ!」と気づいたら運動領へ命令せにゃ仕方がない。だから前回りせざるを得ん。で、狩猟民的生活を数10万年やってる為にそうなったのだろう。
つまり、それまで人は普通菜食がノーマルだった。それが突然ある日肉食をしょうと思った。それがもとのはず。何故、肉食をしようと思ったんだろう。これはずっと以前、単細胞からずっと来る、前に肉食だったことがあるんです。だから頭頂葉の古皮質には肉食という種が残ってる。それがある日突然芽生えたのだろう。
こういうのを「原始帰り」といってる。で、「原始帰り」して肉食しようと思って、そっち主にして生きた為にこういう病的になった。これは病的であるというより病気です。ただ数10万年の病気、非常な慢性病だから、直さりゃしないん。それで病気のままで目覚めささなきゃあならん。それには如何にするかという研究を始めなきゃあならん。釈尊は東洋人を目覚めさせる為に仏教を説いた。西洋人を目覚めさす為には一言も説いていない。こういう事になる。
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