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2015.06.11up

岡潔講演録(15)


「秋が来ると紅葉(もみじ)

【9】 喜びと懐かしさ

 仏教では、世界の実相は大円鏡智の世界だと、こういってます。大宇宙っていいますが、宇宙は大円鏡智の世界である。その大円鏡智の地金は平等性智であるといっています。それをある言い方でいいますと、大円鏡智であるったらどんなことか。一切が喜び、「喜びの世界」ということです。

 じゃあ、平等性智というのはどういうことかといいますと、「懐かしさ」ということです。人を見れば人懐かしく、動物を見れば動物懐かしく、植物を見れば植物懐かしく、雨が降れば雨懐かしく、風が吹けば風懐かしい。これが平等性智。その懐かしさから湧き出る喜びだけが真の喜び。赤ん坊はそこに住んでいます。

 それでいずれ話しますが、喜びがあるから、嬉しいから働くんです。働くから物質が溜まるんです。これが順序です。ところが物質が溜まると嬉しいんだと思うでしょう。これまた物質主義、あべこべです。

 創造もそうです。嬉しいから創造するんです。創造するから嬉しいんだと思ってる。これまたあべこべ、物質主義。そこを間違えてるもんだから、もうさっぱり仕方ない

(※解説9)

 今まで余りにも醜悪な現実の世界情勢を見てきたので、ちょっと口直しがしてみたくなった。それで岡が心の世界の二大要素であるという「喜びと懐かしさ」をここで取り上げてみたい。

 「第2の心」、もっといえば「真情の世界」に人が住んでいさえすれば、世界のことごとく一切のものが、この「喜びと懐かしさ」の中に見えるはずである。これはまるで「子供の世界」である。

 先ず、岡がいうように「宇宙は大円鏡智の世界で、その大円鏡智は喜びである」とはどういうことだろう。それは大円鏡智とは読んで字のごとく、大きな丸い鏡に宇宙全体が映ることだから、宇宙の根本にある「喜び」が、その丸い鏡に余すところなく表現されるということではないだろうか。

 では「平等性智は大円鏡智の地金であり、懐かしさである」とはどういうことか。それは平等性智は鏡の地金であるから、大円鏡智によってあまねく「喜び」が表現されている宇宙の映像を、「懐かしさ」が裏側から支えているといえばどうだろうか。つまり、宇宙の「喜び」を表現するために「懐かしさ」が裏からバックアップしているのである。

 岡はこの時期のあと直ぐに、仏教から古神道に移行するのである。そして、大円鏡智からくる「喜び」が天照大御神(命そのもの)であり、平等性智からくる「懐かしさ」が天の月読の尊(心そのもの)であるというように変わってくるのである。この世界の一切のものは、全てその2つの心の要素、つまり「二神」から生まれてくるというのである。

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