(※解説9)
今まで余りにも醜悪な現実の世界情勢を見てきたので、ちょっと口直しがしてみたくなった。それで岡が心の世界の二大要素であるという「喜びと懐かしさ」をここで取り上げてみたい。
「第2の心」、もっといえば「真情の世界」に人が住んでいさえすれば、世界のことごとく一切のものが、この「喜びと懐かしさ」の中に見えるはずである。これはまるで「子供の世界」である。
先ず、岡がいうように「宇宙は大円鏡智の世界で、その大円鏡智は喜びである」とはどういうことだろう。それは大円鏡智とは読んで字のごとく、大きな丸い鏡に宇宙全体が映ることだから、宇宙の根本にある「喜び」が、その丸い鏡に余すところなく表現されるということではないだろうか。
では「平等性智は大円鏡智の地金であり、懐かしさである」とはどういうことか。それは平等性智は鏡の地金であるから、大円鏡智によってあまねく「喜び」が表現されている宇宙の映像を、「懐かしさ」が裏側から支えているといえばどうだろうか。つまり、宇宙の「喜び」を表現するために「懐かしさ」が裏からバックアップしているのである。
岡はこの時期のあと直ぐに、仏教から古神道に移行するのである。そして、大円鏡智からくる「喜び」が天照大御神(命そのもの)であり、平等性智からくる「懐かしさ」が天の月読の尊(心そのもの)であるというように変わってくるのである。この世界の一切のものは、全てその2つの心の要素、つまり「二神」から生まれてくるというのである。
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