(※解説5)
この「仁」と「義」を平面幾何で表現すると、「仁」は「点」であり、「義」は点と点とを結ぶ「線」であるといえる。この前提の上に複雑な幾何学が成立するようなものである。
さて、岡は「日本は儒教を伝えてるのに誰もこれを知らないらしい」といっているが、この本場の儒教の真髄を岡に伝えたのは他ならぬ胡蘭成である。
しかし、これより4、5年程前より岡は家が割合近いこともあって、日本の中国哲学の権威であり、当時の政界財界に多大な影響力を持っていた安岡正篤と親交を結び、日本における一応の中国思想の核心については既に知識を得ていたのである。
従って、この岡の「誰も知らないらしい」という言葉は、そうした前提のもとでの言葉であることを、我々はここで留意しておかなければならない。更にまた、これより3年後の1972年には、その「仁」の内容を岡は独自に掘り下げてこういっている。
「仁とは何かっていったら、真情のことです。仁といわないで真情といったら、孔子以後の今までの間に人はだいぶん良くなったんだろうけど、仁なんていうものだから、何のことかわかりゃしない。日本でも儒教は形式ばかり覚えてしまって、内容については何にもわかってやしない」(葦牙()5号・情の世界)
ここでも岡の晩年の段階的な境地の深まりを、見てとれるのではないだろうか。日本の一般的な儒教解釈のレベルからはじまって、本場中国儒教の真髄解釈のレベル、そして「仁とは真情のことである」と心の構造に還元して把握するという、本場中国の儒教を岡は遥かに超えてしまうのである。
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