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2015.11.18up

岡潔講演録(17)


「1969年の質疑応答」

【2】 戦後の日本の政治

(岡) 終戦後の日本の政治はめくらが政治したんです。

 このねぇ、住民が目開きならね、闇に灯をともせばそれで済む。住民がめくらなん、それじゃ済まん。で、目の開いた人を選んでは、そこへ行って灯をともさんならん。非常に手間かかる。だからこの人達、役に立つようになったら頼むこといくらでもある。まるでね、今まあ相手っていやあ日本なら共産陣営でしょうが、共産陣営と非共産陣営で将棋差しているようなもの。その時、駒を動かしてやらんならん、いちいち。大体そうです。

 で、相手はさっぱり目が見えんのだから、先読めんのだから、その点は差しやすいんだけど、何しろ20年前から用意してて、非常な立ち遅れ。で、大事な位をみな占められてる。それで非常に差しにくいと、そんな将棋になって来てる。将棋の駒と見なして 動かしてやらなきゃあ駄目だ。それで手間がかかる。この、闇に灯をつけたらわかっくれるもんなら、非常にらちが早いんだが、駄目です。そんなん、めくらとおんなしこと。で、やはり、こういう人達、事務とってもらうだけじゃあ足らんので、本当に芽として伸びてもらわないと。他のこと、いやしませんが、頭頂葉がよく働くようにならないと。第九識、第八識です。

 日本民族は中核だけに知が働いて、後には働かないんです。で、それを知って、多数によって事を決めるという習慣をやめてもらいませんと、滅亡しますよ。

(質問) 今の文部省もいささか日本民族のことについてですね、関心を持ってやろうとしているようですから・・・

(岡) 私に任せて置きなさい今度の坂田文相、人物です。私は坂田さんにこまごまと教育原理を書いて送ろうとしてる。任せて置きなさい(笑)

(司会) 先生はこの間、坂田文部大臣にですね、東京の方で会って来られまして。

(岡) あのう、いよいよ放って置けんから、将棋の駒を自分の手で動かそうとしはじめたんです。まだ、それから2ヶ月にもなってない。今後は今までのようなことはさせまへん。 私1人じゃありません。大体そういうのが葦牙会なんです。こういう人達は成長してもらって、そうなってもらおうと思ってる。

(※解説2)

 この1969年という年は、岡が最も社会的にも政治的にも動いた年である。胡蘭成と出会って、保守系の大革命をめざす「天下英雄会」を2人で結成するのだが、一方では東大紛争など左翼系の学生運動も最盛期を迎え、日本中が政治色一色に染まっていた時期である。

 さて、私が小学生の頃は首相の池田勇人(はやと)が「所得倍増論」を、私が成人した頃は田中角栄が「日本列島改造論」をスローガンに掲げ高度経済成長時代を突き進んだのだが、その行き着く先がどうなるのかという議論は一向に棚上げの状態だったのである。

 岡にいわせればそれは、訳もわからずにただ「盲滅法」突き進んだのだということで、それを岡は「戦後の政治はめくらがした」というのだろう。

 岡は別のところでこうもいっている。「田中角栄はダメだけど、坂田道太は人物ですよ。おどろいた」岡の教育論の集大成である「教育の原理」は、実にその坂田文部大臣に直接送られた長文の手紙であった。

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