(※解説9)
岡は先ず共産主義に反対する立場である。しかし、実はいわゆる民主主義にも反対する。もっと正確にいえば、西洋から入ってきた「第1の心」の民主主義に反対するのである。
「第1の心」の民主主義は個人の自由と権利を一応尊重するのだが、その出発点は「第1の心」の特徴である「自分が先」、つまり自己本位が大前提となっているから、いずれは自己主張の応酬となり、お互いの自由と権利は結果的には尊重されず、必ず破綻する方向に向かうと岡は見ているのである。その弊害を一時的に緩和しているのが「多数決」である。
一方、共産主義は資本家の「搾取」という「血も涙もない」利己主義に対抗して生まれたものではあるが、個人の自由と権利よりも国家統制を重視するあまり、いわゆる「全体主義」に陥りがちなのであって、これもその原因を探っていくとやはり「第1の心」の「意志と力」の思想に行き着くのである。この「意志と力」の思想が国家の強力な統制力として現れて、ついには20世紀に何千万もの犠牲者を生み出す結果となったのである。
だから問題なのは今議論されているような自由主義か共産主義かではなく、「第1の心」か「第2の心」かが真に民主主義を実現する上で大問題なのである。
では「第2の心」の民主主義を岡は具体的にどのような体勢に求めているのか。それは先にも少し触れたが、ここでは結論だけいっておこう。意外とは思うが、「第2の心」が既に定着し、10万年は続くと岡のいう日本の天皇制にである。
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