「1969年の質疑応答」
【14】 人類の夜明け
(岡) この、「曙」を是非読んで欲しい。「曙」は日の昇りかけた景色です。真昼の景色は「神々の花園」ですが、まだ足りないと思いまして、今度、「流露」というのを書く。全ては心そのものの発露であるという意味です。「流露」なんていい言葉でしょう。釈尊は仏教を説いたんです。あれは初年級用です。小学1年。全ては心そのものの発露です。
(質問) あのう、先生は最近「曙」っていう本を出版されたんですけれども・・・
(岡) 「曙」以前は、まだ夜が明けてないんです。
(質問) 大体、「春宵十話」にしても、大体、出典がね、題名が明記されてるんですけれどもね、どうして「曙」っていう題をつけたかっていうことですが・・・
(岡) それは曙の景色だから。書いてる内容が。外の景色が少うし見えはじめた。
(質問) 春は曙・・・
(岡) それ以前は決して見えてません!私がそうなん!やっと水の中から、洪水の中から空気中へ出たんです。そして最初に書いたのが「曙」。春は曙なんて、そんなふざけたもんじゃない!この、道元禅師にあってから20年かかって、やっと空気中へ出たんです。それくらい深い物質主義の水の中におったんです。出るためには「正法眼蔵」、非常に便利です。だから教えに来て下さった。その必要もない者に、ああいう現象は起こりません。それくらい水が深かった。やっと空気中へ出て、空気中の風光を書こうとしはじめたんです。それ、「曙」以後です。やっと景色が少うし見えだしたという意味です。
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