(※解説19)
国語審議会というと当時の日本を代表する知識人の集まりであるが、その権威ある会を「馬鹿な奴等の寄り合いだ」というのだから、岡のあきれはてた心境もわかるというものである。
当時はまだまだ知識人といえども本気で、日本語をローマ字で表記しようかなどという意見もあった時代であるが、それを実行されていたらこの豊かで美しい日本語ばかりではなく、人類の自滅を止める可能性のある日本文明自体も、消滅の道をたどっていたのかも知れない。
それを阻止するために岡は吐血するほど心痛し、外から見れば気狂いのごとく行動したのであって、当時の坂田文相ばかりではなく先の総理大臣、吉田茂にも必死に手紙を書いたということがここでは伺い知れるのである。
猶、先日高知の勉強会のメンバーと奈良の岡家を訪ねてきたのだが、その時に岡の吐血したという例の「便所の柱」ばかりではなく、晩年岡みずからが「第1の心(肉体)」と「第2の心」を分離する実験をしたという「浴槽のある風呂場」もしっかりと確認してきたのである。
今も長男の熙哉さんは奥さんの梅野さんと岡家にお住いなのだが、当時そのままに岡家を残そうと苦心してくれていることが、我々には大変ありがたかったのである。
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