(※解説26)
「あの連仲で、そんなもの何かいるものか」と岡はいっているが、江戸の知識人の位置づけを岡は、代表作「情と日本人」の中でこういっている。
「(宣長は)情が自分だから情を大事にせよとズバリといえなかったんだが、あそこでもっと自分を振り返ってみる暇があったら、それのわかる日本人も出てきたのかも知れない。あそこでグズグズしていたら滅ぼされてしまうという、そういう状態にあったから大急ぎで明治維新をやった」
これが「あの連仲」の意味するところであって、江戸の太平がもう少し長くつづいていれば、昭和の岡潔まで待たなくても「それ(日本の心とは情である)のわかる日本人も出てきたのかも知れない」ということになるのである。
とはいいながらも、やはり日本民族の中核中の中核であり、西洋の数学を学んだ岡潔まで待たなければとても無理ではなかったかと私は思うのである。
また更に「本居宣長がどれだけ駄目だったか」などといった人も今までいないに違いない。それほど岡の視点は群を抜いて高いのであって、一流の国文学者も遠く及ばない。
岡にいわせれば宣長ともあろう人が「もののあはれ」と「性本能」とをゴチャ混ぜにしているというのであって、宣長はその整理がつかないまま雰囲気で、「朝日ににほう山桜花」とお茶を濁してしまったというのではないだろうか。ただ私はこの歌は、文学的に見れば大変素晴しいと思うのだが。
実はこういう傾向は現代にもあって、岡のよく使う「情」という言葉を2種類に使っていて、その区別がついてない場合が多いように感じるのである。
1つは「情緒」や「風情」としての「情」であるが、今1つは「欲情」や「発情」としての「情」であって、この場合は「性本能」に入るのである。大脳生理学でも「情動」という言葉をよく使うが、これは明らかに「本能から生まれる行動」という意味である。
そういうように現在は「情」という言葉を全く意味が違う2種類に使っているように思うのだが、その違いをシッカリと見極めていくことが重要なことではないかと思うのである。
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