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2016.2.21up

岡潔講演録(17)


「1969年の質疑応答」

【27】 中国は知

(岡) 外来文化の為に横隔膜が弱っちまったから、作り直そうと思う。その外来文化のうちには中国文化、入ります。うましあしかびひこじの神、それから天の常立の神、あれ中国へ行って神農しんのう黄帝こうでとなってからあと、日本のこと忘れちまったんかな。そんなもの胡蘭成さんは黄帝の再来だと思ってんだけど、心のこと、つまり高天が原のことまるで知れへん。あの頃まだ、高天が原はちゃんとした態勢とってなかったから、わからなかったのかな。が、ともかく「こころ」の世界です。中国は「知、知」っていってんだから。

(※解説27)

 話は前後するのだが、大事なことを先にいっておきたい。それは「中国は知、知っていってんだから」という岡の言葉である。この頃は中国人の胡蘭成との対話が盛んな時であるが、岡は胡蘭成の言葉尻りに一種の異和感を覚えるのである。

 その1つがこの「知、知っていってんだから」であるが、岡は胡蘭成にそういってもらって初めて気がついたのである。そうだ日本人は「知が大事」だとは思っていない、と。

 それでは「何を大事」と思っているかというと、ここで岡がいっているように「こころ」が大事だと思っている。その「こころ」、つまり「日本のこころ」が何なのかは有史以来の大問題であったのだが、その「こころ」が「情」のことだとわかるには、岡でさえもこの後2〜3年を要したのであって、このことが人類史上初めての「第10識、真情の世界」の発見につながっていくのである。

 また、ここも甚だ難しいところではあるが、ここに出てくる中国古代の伝説上の聖人である「神農」とは、人々に医薬と農耕の術を教えた人物であり、「黄帝」とは同じく中国をはじめて統一し、漢民族の共通の祖先として崇められている人物である。

 一方、日本の古事記に登場する「うましあしかびひこじの神」と「天の常立の神」を岡はこう説明している。

 「民族精神が下から萌えあがって、春になれば冬枯の野に民族精神の芽があちらからもこちらからも出る。それが『うましあしかびひこじの神』。その芽がひとつづきにつづいて、民族精神の高揚した1つの本当に固い基盤を作る。これができたら『天の常立の神』ですね」といっている。

 岡によれば日漢両民族は8万年位前まで同族であったということであるが、日本や中国の伝説の話になると今の私には想像に余るところなので、このことをヒントにあとは皆様のご想像にお任せしたい。

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