「1969年の質疑応答」
【29】 仏教と禅宗
(質問) 仏教といったら自我をなくしてしまうという、まあ漠然とそういう風に感じるんですけども、どういうんですか、言葉の力でそういうことが感じられるもんでしょうか。
(岡) ええ、何聞きたいの。
(質問) はい。例えば仏教そのものをね、僕は勉強してないからはっきりはわからないんですけどね、自我というものを認めずにね、なくしてしまうということなんですね。
(岡) そうだね。
(質問) それはね、言葉でいったらそういうことなんですけどもね。
(岡) 仏教はその言葉でいってたことあるかいな。
(質問) いや、あのう、そういうことは・・・
(岡) ないだろう。
(質問) はい。
(岡) その言葉でいったら病気じゃない。
(質問) はい、そういうことです。
(岡) 仏教はそういやいいのを、そういわんから人にわかりにくいんだね。
(質問) で、たとえば禅宗なんかでもね、言葉を用いずに座ってるってことによって自我をなくすってことをして行く訳なんですが。
(岡) 非常に下手な方法だ。
(質問) で、そういう方法ですね、下手な方法だと僕も思うんですけども、非常に何か要領の悪いやり方だと思うんです。
(岡) 要領と違って、何を頼るべきかを見定めてないのです。原始的だね。
|