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2016.04.09up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」 午前の部

【2】 第1の心

東洋と西洋とはたいへんに違います。西洋人と申しますと、主としてギリシャ人、ローマ人、それから欧米人を指します。西洋人の住んでいるところを西洋というわけですが、その西洋と東洋とはたいへんに違う。芭蕉に「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」という句があります。西洋をあかあかと日のつれない昼としますと、東洋は「夢の国 東洋」という気がする。

 ところで、日本は、明治以後西洋の思想をとり入れた。その中に住んでいる。終戦後は日本を人体にたとえていいますと、アメリカの文化を大量に輸血して、その中に住んでいる。いっそう西洋化がはなはだしい。

 私、東洋をお話しようと思います。あなた方は必ず、おそらくたいへん珍しい話を聞くものだと、そうお思いになると思う。

 一体、東洋と西洋とのそんなはなはだしい違いはどこから出てくるのかということですが、人の心というものについて考えてみますと、西洋で心といえば、心理学や大脳生理学が対象にしている心、理性、感情、意欲の主人公、それを心といっております。

この心は大脳前頭葉に宿っている。宿っているというのは、そこが中心だという意味です。この心は、私というものを入れなければ動かない。私は感情する、私は意欲する、理性という知力もまた、使おうと思わなければ働かない知力です。だから、私が理性するんですね。この心のわかり方は必ず意識を通す。西洋人はこの心のあることしか知らないのです。これを第1の心ということにします。

(※解説2)

 ここは岡がいうように、物質主義が主体である西洋思想の限界をブチ破った、東洋の「たいへん珍しい話」ということになるのだろうか。

 先ずここでは「第1の心」が正確に定義づけられている。そして西洋は基本的に「第1の心」の世界であることが表明されているのだが、人類のもつ思想哲学の中でも、西洋と東洋がこれほど簡潔に定義されているものを私は他に知らない。

 これが岡哲学の真髄であり、比較を絶したスケールの大きさであり、また一方で「極論」だと誤解されがちなところでもある。

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