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2016.04.09up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【7】 西洋は時間、空間

 それでは西洋は一体どんなふうだろう、西洋は自然をどう思っているか。かように西洋というものを基礎から見直そうと思う。これが自主的に事をするということですね。西洋というものをすっかり見直してみよう。こう思うだけでも、東洋を思い出したという利益はあるわけです。

 ところで西洋を見てみますと、西洋の学問、思想の全体は時間、空間という枠の中にはまっている。西洋の学問、思想で時間、空間の枠の外に出たものは1つもありません。つまり時間、空間といういわば箱の中に閉じ込められているようなものです。

 カントは時間、空間を先験観念といって、自分はこれらなしには考えられないといっています。こんなにはっきりいったのはカントだけです。しかし、他の人はいわないで、そのとおりしています。

 宗教、キリスト教なんかでもその天地創造は、神が天地を創造するよりも前に時間、空間というものがあったと思っています。これはそんなものあたりまえだ、必ずそれがあるはずだというのです。言葉に出してはいっていないんだけど、キリスト教の天地創造というものは、時間、空間の枠の中における天地創造です。こんなふうに西洋というものの全体を見ることができる。東洋というものを思い出す、こういうことができる。またしようと思えば、わけなしにできるのです。

(※解説7)

 何度もいうことだが、ここまで掘り下げて西洋を見極めた人などいないに違いない。そこに私はえもいわれぬ格調の高さと斬新さを感じるのである。

 我々はいつまでも西洋に頭が上がらないし、いまだに盲目的に西洋を追随しているのだが、岡の一言で我々はハッと目が醒めるのではないだろうか。彼らのあの巨大な文明というものは、その巨大さと裏腹に時間空間の箱の中に閉じ込められたものなのである。

 特にキリスト教の天地創造でさえ、時間空間の枠の中のできごとであるという岡の指摘はまことに鋭い。創世記の始まりはこうである。「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」

 これはまさしく時間空間を想定した発想ではないだろうか。つまり宗教でさえ、東洋でいうところの時間空間を超越した「こころの世界」が、西洋には存在しない何よりの証拠である。

 猶、岡のいう東洋の天地創造はどんなものであるか、のちにご紹介する予定である。

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