(※解説9)
ここでは岡は数学の証明のようにして時間空間というものを掘り下げていき、東洋と西洋とを位置づけている。その結果として「東洋思想と西洋思想は2つの別のものである」というのである。これを聞くと我々は「エエッ!」と思う。そんなこと今まで考えもしなかったからである。
これを口に出していったのも岡潔1人だと思うが、岡にこういってもらうと我々の視野が急に広く明るくなったように感じるのである。
我々日本人はこの極東の島国にいて、ここは世界の思想や文化の坩堝なのだが、こういう岡の見方を採用すると、そこに流れ込んでいる世界の思想や文化が見事に整理されていくように感じるのである。
猶、1つ私にとって特に印象的な言葉がある。それは「あるということが言えているのではない」の「言えている」という言葉であるが、私はこの言葉がなぜか非常に印象的でもあり、深く考えさせられたのである。
岡は「わかる」ということについて、こういう風にいっている。「わかるということは情的にわかっている、つまり口ではいえないがわかっていることを、知的にわかることである。知的にわかれば口でいえるのである」と。
だから「言えている」ということは「知的にわかること」なのである。しかし、その前に「情的にわかる」ということがなければ一切がはじまらないのであって、その辺のところを岡は「学問の意義は研究の終りにあるのではなく始まりにある」といっている。誠に至言である。情的にわかっているから、研究しようと意欲が湧くのである。
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