「創造の視座」
【17】 リンパ細胞
人が学問できるというのは、大円鏡智の働きによる。それから人に理性が働くのは、その源は平等性智あるによる。人が認識できるのは、認識とはものの心を知ることである。つまりそのものの全体における位置を知ること、ものの心を知ることである。人が認識できるのは、その源は妙観察智あるによる。人が感覚できるのは、その源は成所作智あるによる。これはもうすでに申しましたね。
ところで、たとえば医学ですが、医学は頭のこともさっぱりわかっていないが、それ以上いろいろわかっていない。問題がつぎつぎに出てくる。たとえば内臓の移植というふうなことをやり出した。そうすると、リンパ細胞がある。心臓なら心臓移植しますと、リンパ細胞が心臓を攻撃する。つまり他の個体からきたタンパク質をリンパ細胞はよく識別して攻撃する。これを拒否反応というのですね。
リンパ細胞に他の個体のタンパク質であるか、自分のからだのタンパク質であるかの識別がどうしてできるのだ、不思議であるといって病理学は、考えている。これはからだ全体からいうならば大円鏡智が働いているからである。つまり人の食べてできた血は一滴一滴どこへ使われても、その人になる。大円鏡智。
また、リンパ細胞の立場からいうなら、部分と全体との関係。つまりものの心がわかる、認識力が働いて。そういう見方で見るなら、これは妙観察智の働きです。リンパ細胞からいえば、妙観察智の働きで認識する。人のからだからいうなら、これは大円鏡智が働いているから、そうなる。
|