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2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【31】 月読と天照

 ところで、仏教がいったところを神道の言葉でいいますと、原始の心そのもの、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)と仏教がいっているのを神道では天の月読の尊というのがよいと思う。古事記によって見ますと、「みまし夜の()す国を(しら)せ」といわれた天の月読の尊です。

 これが原始の心そのもの。つまり原始天尊ですね。釈迦は人に生まれて「天上天下唯我独尊」といいましたが、天上天下にただ一人尊き神、これは神道では天の月読の尊と申します。外宮にお祀りすべきです。天の月読の尊は心そのものです。

 心のふるさとにおける心そのものの流露の先端は命そのものです。これが天照大御神です。それで日本では大体心のふるさとの神々を2群に別かって、天の月読の尊をめぐる神々、天照大御神をめぐる神々、とにしています。

(※解説31)

 ここはまだ第10識「真情の世界」を岡は発見する前であるから、第9識の仏教と第10識の神道とは同列の扱いである。だから釈迦牟尼仏と天の月読の命とをともに「天上天下唯我独尊」の唯一神と見ているが、既にもうここでは天の月読の尊を「原始天尊」という仏教にもない表現を使っているから、まだ確証はつかめないものの大分神道に重心が移っているのである。

 また、男神である天の月読の尊を外宮にお祀りすべきであるとは、長い伝統と格式のある伊勢神宮に対して思い切ったことをいうものである。岡は晩年既存の宗教では例を見ない「男女二神(二神教)」を提唱するのだから、いくら言い伝えで「われより先にこれ(外宮)を拝め」と天照がいったとしても、同じ女神である豊受大神(とようけのおおかみ)を外宮に祀るのは筋違いだと岡はいいたいのである。

 その他、豊受大神は「食物の神様」で、朝鮮半島から入ってきたどちらかというと現世利益に近い「国つ神」であって、とても天の月読の尊のように「天つ神」とはいえないのである。

 因に、今回開かれた伊勢志摩サミットでは、世界の主要7ヶ国の首脳が伊勢神宮に集い、安倍総理の出迎えのもと揃って内宮に額いたのであるが、考えてみればこれは世界歴史はじまって以来の出来事ではないだろうか。何かこれからの世界を象徴しているように私には思えてならない。真の世界平和のためにも、サミットを積極的に主導した安倍総理の手腕とご尽力に心より感謝したい。

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