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2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【32】 第1段の目覚め方

 目覚めるということを申しましたね。その目覚め方ですが、日本人の目覚め方は2段に別れると思う。第2段の目覚め方を目覚めて初めてほんとうに目覚めるわけです。その前に第1段の目覚め方というのもあるように思う。それについて実例を1つずつお話しします。

 第1段の目覚め方を目覚めたのは、石川さんという女の方。40才ぐらいかと思う。私の家へ3度見えました。最初見えたときは、何か知らないが、それさえしっかりつかめば他にもう何も要らないというものがある。自分はそれをしっかりつかみたいのだ。そういっていられました。それで私はもう一息だからしっかりおやりなさいと励ましておいた。

 そうすると、それから1年ほどたってまた見えた。そのときは私は黙って対座しただけで、スミレの花の精と対座したような気がした。自然の季節には春夏秋冬4つありますけれども、第2の心の季節は春しかない。その人はまるで心の春の季節に包まれておった。それでうれしくて、うれしくて仕方がないというふうだった。もはやすこしも疑いませんといっていた。それがスミレの花の精、つまり目覚めた植物という気がした。

 なぜ目覚めた植物という気がして、目覚めた人という気がしなかったかといいますと、度生心に少しも目覚めていなかったからです。度生心というのは、みんなのために働きたいという大意志力です。ところが、それから2月ほどたってまた見えた。そうすると、私と座っていて、先生とは過去世で何度もお会いしたことがあるような気がして、懐かしくて仕方がない。と、しきりに懐かしがっておられました。今に度生心に目覚め始めるでしょう。

(※解説32)

 この石川さんという女性は、この時期によく岡の話題にのぼる富士山麓に住む50歳代の男性(岡はこの人を応神天皇以前の純粋な日本人という)とともに、岡家を訪ねた数少ない「目覚めた人」の1人ということになるのだろう。

 本名は石川郁枝さんという保育園に勤める人であり、小さい頃はお星様と語りあったり、花と花とがお話をするのを聞くことができた人である。岡は小さい子供に、もっとそういうことを大人が話すべきだといっている。

 ともかくこの人は、岡を懐かしく思い岡家を何度も訪ねたということだから、岡とは過去世で何度も会ったような気がすると、ご本人がいうのも当然のことかも知れない。

 人は生まれてから後で身につけたもの(知識、能力、現世の経験等)は大したことはないのであって、岡になんとなく惹かれたり岡が本当にわかるためには、「第2の心」に蓄積した過去世の経験しか役に立たないのである。私はそう思う。

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