「創造の視座」
【32】 第1段の目覚め方
目覚めるということを申しましたね。その目覚め方ですが、日本人の目覚め方は2段に別れると思う。第2段の目覚め方を目覚めて初めてほんとうに目覚めるわけです。その前に第1段の目覚め方というのもあるように思う。それについて実例を1つずつお話しします。
第1段の目覚め方を目覚めたのは、石川さんという女の方。40才ぐらいかと思う。私の家へ3度見えました。最初見えたときは、何か知らないが、それさえしっかりつかめば他にもう何も要らないというものがある。自分はそれをしっかりつかみたいのだ。そういっていられました。それで私はもう一息だからしっかりおやりなさいと励ましておいた。
そうすると、それから1年ほどたってまた見えた。そのときは私は黙って対座しただけで、スミレの花の精と対座したような気がした。自然の季節には春夏秋冬4つありますけれども、第2の心の季節は春しかない。その人はまるで心の春の季節に包まれておった。それでうれしくて、うれしくて仕方がないというふうだった。もはやすこしも疑いませんといっていた。それがスミレの花の精、つまり目覚めた植物という気がした。
なぜ目覚めた植物という気がして、目覚めた人という気がしなかったかといいますと、度生心に少しも目覚めていなかったからです。度生心というのは、みんなのために働きたいという大意志力です。ところが、それから2月ほどたってまた見えた。そうすると、私と座っていて、先生とは過去世で何度もお会いしたことがあるような気がして、懐かしくて仕方がない。と、しきりに懐かしがっておられました。今に度生心に目覚め始めるでしょう。
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