「創造の視座」
【33】 第2段の目覚め方
セルパ族というものは、その当時チベット高原を日本民族が南に下りたときネパールに置き残された民族で、日本民族の一部分だと思われます。非常に日本民族と似ていて、日本人よりももっと日本人らしい顔をしているということです。非常に勤勉であって、平和な農耕生活をしている。ネパールの住民は大体東洋人です。
しかし、ネパールを今支配しているゴルカ族というのは西洋人です。その政治のためにセルパ族は非常な貧窮のどん底にあるということです。しかし、最も悲惨なのは、貧困さにあるのではなく、コレラとかライ病とか結核とかに悩まされ続けていることです。
日本人のお医者さんで岩村さんというのが、もうだいぶん長くネパールにいてこのセルパ族の患者の世話をしている。その岩村さんのライ病患者の世話の仕方ですが、ライ病は患者のうみが手につけばうつる。
しかし、岩村さんは、うみなんかいくら手についても平気でライ病患者の世話をしている。そしてライ病は伝染しても、発病まで20年潜伏期がある。よし発病しても、自分は医者であって、手当の仕方を知っているから死なない。だから、やはりライ病患者の世話はできる。だから構わないといっているということです。
また、あなたはネパールに長くおられるようですが、なぜですか。今後どうなさいますかと、そういう質問に対しては、自分はネパールの景色が好きだからネパールに骨を埋めるのだ。そういって、それだけしかいわない。そういうことです。
まあ目覚めれば、ひとが喜んでおれば自分がうれしい。それでライ病患者を親切に世話してやると、世話された方はほんとうに喜ぶでしょう。それを見ると自分がほんとうにうれしくて、幸福でうみなんか手につこうがどうしょうが、気にせんのでしょう。
手にうみがつかないかなどと思って世話すると、よそよそしい世話になってしまい、相手はあまり喜ばない。それで患者が喜ぶのがうれしくて、うみなんか手につくかどうかなどということを気にしておられないのでしょう。
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