「創造の視座」
【35】 人生の回顧
私、かぞえ年29のときにフランスに渡ろうというので、シンガポールの埠頭に立ちました。ヤシの大きな木が2、3本斜めに海に突き出ていました。頂きに少しだけ葉がありました。向こうのほうには、伊勢神宮の原型を思わせるような土人の家が2、3軒あって、高い床脚を波に洗わせていた。
で、私はその景色を見ながら、寄せては返す波の音を聞きいるともなく聞きいっていた。そうすると、何ともしれん強い懐かしさの情に襲われた。しばらく渚にうずくまっていた。どれほどの時間かはしらない。うずくまっていました。
それ以後私、日本民族というものは、単なる言葉ではなく、ほんとうに存在するのである。常住不易である。その内容は懐かしさだと思うようになりました。
ところで私、1901年に生まれましたから、数え年29といえば1929年です。それからフランスにおりまして、1932年に満州事変が始まった。国外にあって満州事変にあうのは、まるで戸外にあって暴風雨にあったようなもので、ごうごうたる世界の日本に対する非難がものすごかった。それで私は日本民族の将来が大変心配になった。
ところが、それ以後日本民族は心配なほうから心配なほうへ歩き続けて、一向にやめない。それでとうとうそれ以後、それ1932年、今年1970年ですから、足かけ39年、私は日本民族を心配するということをやめることができなかった。
とうとう日本民族が滅びやしないか、何としてでも日本民族の滅亡だけは食いとめようという、その一念以外は何もないようになってしまった。それで私はほんとうは、今は何としてでも日本民族の滅亡を食いとめようという、その一念以外はないのです。
|