「創造の視座」
【36】 自由作文
もう1人こういうものがありました。これは女性で、小さいときから書道をやったのです。それで書道のことが詳しく書いてある。その後にこう書いてある「どこにでもある、いつでもある、何のへんてつもないものに、ふと心を奪われ可愛いと思う。これが日本人の心ではないでしょうか」、こう書いてある。
それで私は「さみだれや色紙へぎたる壁の跡」という芭蕉の句を連想した。なるほどこれが日本人の心というものかと教えられた。それで最優をつけたのですが、大体こんなんです。
これは教育しているものは日本の神々だ、学校ではないということが直ぐおわかりになるでしょう。学校は何もしてやしない。日本の神々が教育した。それで友情というものを教えられた。それから日本人の心、何のへんてつもないものに、ふと心を奪われるという、日本人の心を教えたりしている。
こんなふうなら学校というものは要らない。学校というものはむしろ日本の神々の教育をじゃましたから、それで3分の1も良がついてしまった。こういうものは頭はもはや使いものにならないと思います。しかし、からだはやっぱり3分の1ぐらいは使えるでしょうから、今の教育以上悪い教育というものはちょっとあり得ないでしょうから、そういう教育をしても、使いものにならないものは9分の1しかないというのなら別に困りゃしない。
ただ、こんなふうな教育をすると、創造ということはとてもだめだろう。この点だけは少し工夫しなければならないだろう。そんなふうに思いましたね。
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