「創造の視座」
【38】 異文化の輸血
終戦後の日本はアメリカ文明を大量に輸血した。ところが東洋の国は人体にたとえていえば、異国の文化を輸血するということは、やってはならんものらしい。歴史を見ますと、蒙古民族は中国を征服したでしょう。ところが中国の文化を大量に輸血した。それですぐにだめな民族になって滅ぼされてしまった。その後満州民族が再び同じことを繰り返した。清という国を建てたんだが、すぐに滅ぼされてしまった。
その後孫文は日本の学校制度をとり入れて教育していた。ところが日本のたび重なる無法な仕打ちに腹を立て、蒋介石はアメリカの学校教育をとり入れた。これが今日中国がいまだに自分たちの真にほしいものは物質ではなく、心の幸福であるということを悟らないで低迷している理由です。
ところで日本は、終戦後アメリカの文化を個人のからだにたとえていえば、大量に輸血した。その学校教育だけでも、蒋介石一派がやったのと同じようなことをやった。そのため長い間拒否反応は全く見られず、私は日本はこのまま死んでしまうのではないかと思ってほんとうに死ぬほど心配した。
ところが近頃になって、やっと拒否反応らしいものが見えはじめた。それはどういうことかといえば、果してこれでよいのだろうかという疑惑がかなり広く広がっていることです。まだ、果してこれでよいのだろうかという疑惑だけですが、これが拒否反応だと思うのです。
東洋の民族はなぜ異国の文化を輸血したらだめかといいますと、東洋の民族が優れているというのは、第2の心がよく働くということでしょう。西洋の国とか、民族とかが優れているというのは、第1の心がよく働くということで違う。
ところで、第2の心は、頭頂葉から後頭葉を経て、それから側頭葉、前頭葉と、こう回るのですね。ところで、後頭葉は情緒でしょう。だから、日本民族固有の情緒のいろどりに後頭葉の情緒のいろどりをしておかなかったならば、頭頂葉が後頭葉を経て前頭葉へ発露するということがうまくいかない。
つまり日本民族、東洋民族は、その民族固有の情緒のいろどりを保っていくということが必要である。そこが色も変わるといけない、濁れば、もちろんいけない。異文化をとり入れて異国情緒になると、自国のいろどりと違うて頭頂葉がよく働こうにも働けない。それでこういうことになる。
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