b 岡潔講演録(18):【38】 異文化の輸血
okakiyoshi-800i.jpeg
2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【38】 異文化の輸血

 終戦後の日本はアメリカ文明を大量に輸血した。ところが東洋の国は人体にたとえていえば、異国の文化を輸血するということは、やってはならんものらしい。歴史を見ますと、蒙古民族は中国を征服したでしょう。ところが中国の文化を大量に輸血した。それですぐにだめな民族になって滅ぼされてしまった。その後満州民族が再び同じことを繰り返した。清という国を建てたんだが、すぐに滅ぼされてしまった。

 その後孫文は日本の学校制度をとり入れて教育していた。ところが日本のたび重なる無法な仕打ちに腹を立て、蒋介石はアメリカの学校教育をとり入れた。これが今日中国がいまだに自分たちの真にほしいものは物質ではなく、心の幸福であるということを悟らないで低迷している理由です。

 ところで日本は、終戦後アメリカの文化を個人のからだにたとえていえば、大量に輸血した。その学校教育だけでも、蒋介石一派がやったのと同じようなことをやった。そのため長い間拒否反応は全く見られず、私は日本はこのまま死んでしまうのではないかと思ってほんとうに死ぬほど心配した。

 ところが近頃になって、やっと拒否反応らしいものが見えはじめた。それはどういうことかといえば、果してこれでよいのだろうかという疑惑がかなり広く広がっていることです。まだ、果してこれでよいのだろうかという疑惑だけですが、これが拒否反応だと思うのです。

 東洋の民族はなぜ異国の文化を輸血したらだめかといいますと、東洋の民族が優れているというのは、第2の心がよく働くということでしょう。西洋の国とか、民族とかが優れているというのは、第1の心がよく働くということで違う。

 ところで、第2の心は、頭頂葉から後頭葉を経て、それから側頭葉、前頭葉と、こう回るのですね。ところで、後頭葉は情緒でしょう。だから、日本民族固有の情緒のいろどりに後頭葉の情緒のいろどりをしておかなかったならば、頭頂葉が後頭葉を経て前頭葉へ発露するということがうまくいかない。

 つまり日本民族、東洋民族は、その民族固有の情緒のいろどりを保っていくということが必要である。そこが色も変わるといけない、濁れば、もちろんいけない。異文化をとり入れて異国情緒になると、自国のいろどりと違うて頭頂葉がよく働こうにも働けない。それでこういうことになる。

(※解説38)

 ここも取り上げるべき点がいろいろあるのだが、やはり要点は東洋民族における異文化の輸血と大脳生理である。こんなことを正面から説明しようとした人など皆無だろうし、今の脳科学では説明する材料さえ持ちあわせてはいない。

 要するに日本人や東洋人の「念」は「後ろ回り」だから、情緒が宿るという後頭葉の雰囲気を自国とは全く違う西洋の雰囲気にしてしまうと、頭頂葉から発する第2の心の「念」が後頭葉を経て、文化活動の中心である前頭葉にうまく発露しないというのである。

 一方、西洋は「念」は前回りだから、頭頂葉から運動領(無明)の地下をくぐり前頭葉に直下に発露するのであって、この場合は雰囲気の世界である後頭葉は通らないから、たとえ異文化を輸血してもそれほどの弊害は出ないのである。

 今、「クールジャパン」の声が世界にかまびすしく、これは西洋にとっては異文化の輸血そのものであるが、彼等はあくまでも合理的、自主的に日本文化を受け入れているのであって、そのことは以前の日本のように「よろめく」のでもなければ「猿真似」でもない。

 西洋の浅い「第1の心」の世界から見れば、日本の深い「情の世界」である「第2の心」は、当然のことながら調和と安定と豊かさに自ずから結びつくのであって、彼等は150年かけてやっとそのことに気づきはじめたのである。

Back    Next


岡潔講演録(18)創造の視座 topへ


岡潔講演録 topへ