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2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【39】 日本民族はスミレ

 それで私は、ともかくどうするか、何が急ぐかといえば、何よりも日本民族は日本民族固有の情緒のいろどりを保たなければだめであるから、早く日本民族本来の心のいろどりにもどってもらいたい。それをいって回っているわけなんです。

 で、どうすればよいかということは、なかなかわからない。道徳も全くいけない。教育も全くいけない。また、人はどうするのがよいかということもなかなかわからない。しかし、現状における日本がどうすればよいかということなら、よくわかっている。日本民族は日本民族本来の情緒のいろどりにもどらなければいけない。

 春の野にはスミレもあれば、タンポポもあれば、レンゲもある。しかし、スミレが花咲こうと思えば、スミレの花を花咲くほかはない。レンゲの花をほめるのもよい。タンポポの花をほめるのも必要であろう。しかし、スミレが花咲こうと思えば、スミレの花を花咲く以外花咲きようがない。それで日本民族の学校教育は、日本民族の固有の情緒のいろどりに合わせてしなければだめである。

 欧米の文化をほめるのはよい。しかし、スミレにレンゲの花を咲かせようとするようなのは、だめである。私「春宵十話」以来これをいい続けているのです。とうとう今日も、他のことはあまりいえませんでしたが、日本民族をスミレだとすれば、スミレが花咲こうとすれば、スミレの花しか咲けないのだ。これはぜひ知っていただきたいと思う。結局10年間同じことをいい続けたということになるのです。

 これでやめます。

(※解説39)

 ここはこの講演の締めくくりのところであるから、「春宵十話」から数えて10年間訴えつづけてきたことを、岡は何とかここでも表現しようとしているのである。

 何時もいうことだが、1972年に岡は「日本の心」とは第10識「真情の世界」であることを発見するのであって、この時点ではまだ発見の2年前であるから、西洋が第7識「意志と力」の文明であることは既にわかっているのだが、東洋は本来おもに、第9識「知慧」の文明であり、日本はその両者とは全く違う第10識「真情の世界」の文明であるとまではいえていない。

 その辺のところをスミレ、タンポポ、レンゲと3種類の植物になぞらえて漠然と別けているのだろう。ともかく日本民族は「意の文明」でもなく、「知の文明」でもないから、何とか早く「日本の情」を再認識してくれと岡はいいたいのである。

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