「創造の視座」
【39】 日本民族はスミレ
それで私は、ともかくどうするか、何が急ぐかといえば、何よりも日本民族は日本民族固有の情緒のいろどりを保たなければだめであるから、早く日本民族本来の心のいろどりにもどってもらいたい。それをいって回っているわけなんです。
で、どうすればよいかということは、なかなかわからない。道徳も全くいけない。教育も全くいけない。また、人はどうするのがよいかということもなかなかわからない。しかし、現状における日本がどうすればよいかということなら、よくわかっている。日本民族は日本民族本来の情緒のいろどりにもどらなければいけない。
春の野にはスミレもあれば、タンポポもあれば、レンゲもある。しかし、スミレが花咲こうと思えば、スミレの花を花咲くほかはない。レンゲの花をほめるのもよい。タンポポの花をほめるのも必要であろう。しかし、スミレが花咲こうと思えば、スミレの花を花咲く以外花咲きようがない。それで日本民族の学校教育は、日本民族の固有の情緒のいろどりに合わせてしなければだめである。
欧米の文化をほめるのはよい。しかし、スミレにレンゲの花を咲かせようとするようなのは、だめである。私「春宵十話」以来これをいい続けているのです。とうとう今日も、他のことはあまりいえませんでしたが、日本民族をスミレだとすれば、スミレが花咲こうとすれば、スミレの花しか咲けないのだ。これはぜひ知っていただきたいと思う。結局10年間同じことをいい続けたということになるのです。
これでやめます。
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