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2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【40】オオカミ少女

 同じことです。第2の心の底から日本の神々がじかに育てている。言いかえますと春の草にたとえていうと、日本人はスミレですから、スミレはレンゲにならない。環境ということをいいましたが、子供がオオカミに育てられた時の話とか、黒人の子供を白人が育てた時の話とかは第1の心のことをいっているのでして、第2の心のことではない。

 終戦後日本は総生産力世界第2位というところまで行った。これは非常に良質の勤勉さと、非常に良質の器用さによって行ったので、第2の心の働きです。創造ということも要るだろうが、これも非常によい素質を持っているんだから、これはそんなにたくさん要らないから、少数をよく教育すればよい。

 政府にまかしておいたらやってくれんというようなら、各会社々々でやればいい。実際ソニーの小林さんは、自分とこの会社で教えるんだといっていますね。ああして十分創造ということも間に合う。今ぐらい物資が生産されれば、1億が衣食住するには事欠かない。だから、その後はスミレはスミレのごとく花咲いてほしい。私はそう希望するのです。

(※解説40)

 ここから質問篇に入っていくのだが、あまり多くを抽出できないのが残念である。

 ここも西洋心理学とのギャップを、我々は思い知らされるところではないだろうか。インドで発見され這うことと吠えることしかできなかったオオカミ少女「カマラ」なんかの話も、第1の心の「自我」の形成に支障があるということであり、考えてみれば西洋人にとっては当然のことである。

 これは植物でいえば、地上部分が大きく繁茂しているのが人であるという、西洋型の人間観からきているのである。しかし、本当の人とは地下茎の第2の心であるから、カマラの場合は異例であるから果たしてどうかわからないが、表面の第1の心を見るだけではいけないと岡はいいたいのだろうか。

 実際、岡の家で飼ったことのある犬(これは写真によく出てくる岡とジャンプする犬)や猫(ミルといって岡の左肩によくとまった猫)の内面は、「懐かしさと喜び」の世界だったと岡はいうのである。これは他の一般のペットや動物を見ても同じではないだろうか。

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