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2016.06.22up

岡潔講演録(18)


「創造の視座」

【42】日本民族の足跡②

 ところで古事記ではそれ以上調べようがない。ところが日本民族と漢民族とはもと同一民族だと思える。それで中国の伝説によった。ところが中国の伝説には、何時代が何年と書いてある。だから一応足し算すれば出てくる。それを胡蘭成さんにやってもらったんですが、やっぱり30万年前だという。

 だから古事記のはじまり、つまり天の月読の尊が地上に下り立って日本民族を教えはじめられたのは、今から30万年前だろう。こういうことになる。場所はもちろんこれは中央アジアなんだ。世界の文明は中央アジアから発生したといわれている。

 それから今から11〜2万年前、この中央アジア民族のうちで知を主とするものと情意を主とするものとが2つに別かれた。こう思える。そして知を主とするものは、そのまま中央アジアにとどまり、これが後の漢民族、それからかってのメソポタミア民族、かってのエジプト民族になった。

 それから情意を主とするものは、これは季節というものにも敏感だし、またわかればすぐ行動する。それでだんだん暑くなると、中央アジアからチベット高原に暑さを避けただろう。それが11〜2万年前、それから後でチベット高原を今度は南へ下っただろう。ネパールにセルパ族というのもいるし、これは8〜9万年前だろう。それで2〜4万年チベット高原にいただろう。

 それからシンガポール辺へ出て、しばらく南洋の海におって黒潮に乗って北上しただろう。万世一系の皇統の始まり瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はチベット高原を下るときにすでにおられた。それから8〜9万年だろう。こう思うのです。

 これが私の日本民族に対する叙情歌です。古事記は日本民族の叙情歌です。私もひとつ叙情歌をうたおうと思って今うたってお聞かせしたわけです。国家というものは、万世一系の皇統あってあるのでしょう。それだとすでに8〜9万年あるのです。叙情歌ですよ。それで神道の話を少ししておいた。

 バイブルにノアの洪水というものがあるでしょう。ノアの箱舟、地球の最後の氷河期が終わったのは、今から1万数千年前、この時大洪水が中央アジア辺を襲った。それで大勢死んだ。生き残ったものはノア地方、スサ地方に避難した、このノアというのとノアの箱舟のノアと同じで、私、よく知りませんが、おそらくノアの箱舟からノア地方というのが来ているのじゃないかと思う。これは1万数千年前、だいぶん年代が違うのです。

(※解説42)

 先に30万年におよぶ日本民族の足跡の概略をお伝えしたのだが、今回はもう少し詳しい足跡をご紹介してみたい。

 30万年前から20万年ほどの間、ユーラシア大陸の各地に分散していた日本民族が、今から11〜2万年前に二手に別れ、知に重点を置く民族としてエジプト、メソポタミア、黄河流域に定住し(これらの民族を古代日本民族と岡はいう)、一方の情意に重点をおく民族としての主流の日本民族はチベット高原に暑さを避けて定住したらしい。

 その後、8〜9万年前に主流の日本民族はネパールを経てチベット高原を南に下りて、シンガポールから南方の島々を数万年かけて経巡ったのち(伊勢神宮の原型はこの辺にある)、再びシンガポールから台湾を経て黒潮にのって日本列島にたどり着いたのである。だからこれを黒潮民族という。それが今から約1万年前の神武天皇時代ということである。岡はそういっている。

 猶、胡蘭成が岡に教えた中国の秘伝にはこう書かれてある。天皇氏時代が12万年、地皇氏時代が9万年、人皇氏時代が7万年、その後の神話伝説時代以降が1万数千年。これらを全て足すと29万数千年となるのである。

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