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2016.09.18up

岡潔講演録(20)


「1971年度京都産業大学講義録第6回」

【2】 ペンキで塗る

 ところで、いつ頃からわたし日本を知りたい、日本という国を知りたいと思い始めたかと云いますと、『1929年』今年は『1971年』。だから足かけ『42年』ですね。やっとわかった。

 なぜこんなにわかりにくいかと云いますと、日本は応神天皇以前の日本を見せてもらえるなら一目でわかります。1日あれば充分でしょう。しかしあれ以後、例えて云えば、進駐軍に家を貸すと直ぐペンキを塗ってしまう、こういうことをやりましたが、まるであれと同じことを日本は自分でやったんです。

 例えば檜建ての室内の木肌を、ペンキを何度も何度も塗ってある。中国からペンキを取り入れては塗り、インドからペンキを取り入れては塗り、明治以後は西洋からペンキを取り入れては塗り、終戦後はアメリカ製のペンキを、これはこってりと塗ってある。もっともわたし、戦前の日本なら見て知ってますが、しかし今それを眼前に見ようと思っても無いという不便はありますが、ともかくそんなふうに塗ってある。

(※解説2)

 皆さんは「日本」というと単純にイメージされる方が多いのではないかと思うのだが、実は日本は世界文化の坩堝(るつぼ)といわれるくらいで、非常に複雑な要素がまじりあった国柄なのである。

 ここで岡がいうように、今日の日本は有史以前の純粋な日本の上にペンキを何度にも塗ってあって、大概の人はその上に塗ったペンキの色を本来の日本だと思い違いしている場合が多いのである。

 岡は日本民族の中核であってそのことが直観的にわかるものだから、そのペンキの層を1枚1枚はいでいこうとしているのである。特に我々の最も大きな思い違いは、「意志と力」の思想である西洋はいうに及ばず東洋と日本とを混同しているところである。

 例えば、インドで生まれた難行苦行に厭世(えんせい)主義の「仏教」、中国儒教の形式主義で権威主義の影響のある「武士道」、東洋思想全般に共通する「男尊女卑」など、現在伝統的日本文化だと思われているものは、実は「東洋」に由来するものが多いのである。それを見極めて初めて「日本がわかりました」と岡のようにいえるのである。

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