「1971年度京都産業大学講義録第6回」
【3】 宣長の「うひやまぶみ」
で、本来の日本でなきゃ日本と云えません。応神天皇以後まだ極く僅かであって、しかもこれは人工を非常に加えてある。だからそのペンキを通して木肌を見るのでなければ、見たとは云えんでしょう。これくらいかかりますよ。
そういうことをしようとした人の1人に『本居宣長』という人がある。ご存知でしょう。徳川時代の人ですが、この人は『うひやまぶみ』と云う本の中で ― 「うひやまぶみ」と云うのは初学者に道を教えるための本らしい。この本の中にこう書いてある。
『漢意清く捨てらるベし』
漢意と云うのは中国から取り入れたもの、インドから取り入れたもの、それですね。特に『儒仏()』を指すんでしょう。しかしこれでは、白木造りの室内にこってりとペンキが塗っであります、そう云ってるだけで、木肌がわかってたのかどうか、そこまではわからない。
これくらい日本というものはわかりにくいんですね。ところでそれが知りたいと思う。ところが、この際なら名だけがあって内容がわからない。そんなものを知るにはどうするかと云うことですが、思いつくことからポツリポツリと云っていきます。
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