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2016.09.18up

岡潔講演録(20)


「1971年度京都産業大学講義録第6回」

【3】 宣長の「うひやまぶみ」

 で、本来の日本でなきゃ日本と云えません。応神天皇以後まだ極く僅かであって、しかもこれは人工を非常に加えてある。だからそのペンキを通して木肌を見るのでなければ、見たとは云えんでしょう。これくらいかかりますよ。

 そういうことをしようとした人の1人に『本居宣長』という人がある。ご存知でしょう。徳川時代の人ですが、この人は『うひやまぶみ』と云う本の中で ― 「うひやまぶみ」と云うのは初学者に道を教えるための本らしい。この本の中にこう書いてある。

 『漢意(からごころ)清く捨てらるベし』

 漢意と云うのは中国から取り入れたもの、インドから取り入れたもの、それですね。特に『儒仏(じゅぶつ)』を指すんでしょう。しかしこれでは、白木造りの室内にこってりとペンキが塗っであります、そう云ってるだけで、木肌がわかってたのかどうか、そこまではわからない。

 これくらい日本というものはわかりにくいんですね。ところでそれが知りたいと思う。ところが、この際なら名だけがあって内容がわからない。そんなものを知るにはどうするかと云うことですが、思いつくことからポツリポツリと云っていきます。

(※解説3)

 岡はここで「漢意」とは「儒仏」のことだといっているが、宣長は既に日本と東洋は根本的に違っていて、それを見極めよといっていることになる。

 しかし、岡はこの時期によくいっていることであるが、「わかる」ということに2種類あると。最初「情的にわかる」。そして、それに関心を集めつづけていると「発見」がある。そこで初めて「知的にわかる」のである。それで今度は言葉を使って説明が可能となるのである、と。

 そうするとこの場合の宣長は「情的にわかる」という状態ではないだろうか。いまだ言葉では説明できないものの、直観的にはわかっているのである。岡はそこから「知的にわかる」ところまで、このあと半年を費して「日本とは何か」を追い詰めていくことになるのである。

 因に、宣長は「漢意」と書いた上で、「意」を「こころ」と読ませている。インドの聖典「ベーダ」の中でも「こころ」に「意」という字を当てているのを見たことがあるが、日本では古来「情」と書いて「こころ」と読ませるのが一般的である。そんなところにも「東洋の心」と「日本の心」との違いが現れているのではないだろうか。

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