(※解説7)
ここは非常にスケールの大きいところである。20世紀までに花開いた「科学」は、大概は人や自然を破壊することに多く使われているように私には見えるのだが、その「科学」を1人の大天才によって総括するところである。
キチキチと精密に調べることが「科学」の特性ということになっているが、「それだけでは何にもわかってこない」というのが岡の主張である。キチキチと誰にでもやってもらわなきゃならないのは「お掃除」だけだと岡はいう。
考えてみれば岡の方向性と「今日の科学」の方向性とは全く逆である。岡は人類の「心の世界」という基礎を解明することによって「科学」の位置づけを明確にしていくのに対して、「今日の科学」は自らの立脚点を不問にしたまま、その上に精密に調べた結果をやみくもに積み上げていくだけではないだろうか。
だから「科学」がどこに向かっているのか、「科学」自体にはわからないし修正もできないのである。そして岡は「馬鹿なものはいくら教えたって馬鹿なことをすることを止めない」というのであるが、その「馬鹿な者」とは一体誰のことか。それは唯物主義を捨てきれない西洋の科学者と、その真似しかしない日本のアカデミズム業界の人達のことではないだろうか。
そして最後に岡はつけ加えるのである、「根気はいるでしょう、教える方にも習う方にも」と。「今日の科学」を人類が卒業するにはまだまだ時間がかかると、岡は既に覚悟している口振りである。
Back
Next
岡潔講演録(20)1971年度京都産業大学講義録第6回 topへ
岡潔講演録 topへ
|