「1971年度京都産業大学講義録第11回」
【8】 仏教の問題点
しかしそれだけでは足りない。日本人と云えば、日本民族という特殊な集団を営んでいる。非常な昔からそういう集団を営んでる。だから自分は日本民族の1人だと思わないと、自分は何をなすべきかということがわからない場合が多い。自分は日本民族の1人だと、そういう観点なら真の自分とは何かと云うと、真の自分とは日本民族である。そういうことになるんですね。これはどっちが本当か、共に本当です。共に本当であって、実際何かしようと思うと、やはり日本人は自分が日本人であるという立場でないと、一切うまくいかないでしょう。
日本民族は、日本は1つの特徴があるんですね。それは『心』という言葉ですが、仏教には心という言葉が無い。心という言葉が無いんです。それから中国にも無いかもしれない。聞いたことがない。欧米には無い。この心理学的心を心と云ってますから。中国のはもう少し深いがこんなもの、心というようなものではない。赤ん坊にむき出しに現れてるものが心です。心理学的心が現われてるんじゃありません。
大体仏教が ― 仏教は随分いろいろなことを教えてくれますが、仏教には今云った通り心という言葉が無い。これはだんだん説明しますが、心という言葉が無い。驚くほど無いんです。いくらなんでもそれではと思いますが、思うでしょうと云ってもあなた方思やしないでしょうけど。心のことなんか考えたことがない。仏教はそれじゃどうしてるかと云うと、例えば禅のように、師匠から弟子へ心をそっくりそのまま譲り渡す、移し入れるというようなやり方でその欠けたるを補ってるんですね。言葉に出しては何も云わない。云おうにもそんな言葉、全然無いんです。
仏教には心という言葉が無い。心について何も書いてないだけではありません。『時間』というものについても何の説明もしてない。時間の生まれて来る元のものは『時』ですね。時とか時間とかいうものについて何も云ってない。
一体どう思ってるんだろうと思うんですが、真言に六大無碍と云って、この大宇宙を構成してるのは6つの要素が構成してるんだ、そう云ってるんです。その6つの要素とは何かと云うと『地、水、火、風、空、識』と云うんです。地と云うのは固さあらしめるもの。水と云うのは湿り気あらしめるもの。火と云うのは暖かみあらしめるもの。風と云うのは振動あらしめるもの。空と云うのが空間ですね。
空間は書いてある。それから識と云うのが心だって云うんですが、識は心ではありません。ともかくどこにも無い。この6つから大宇宙が出来てると云うのなら、時間はどこから出て来るか。時の流れなどというものはあるに決ったものだと決めてかかってるんでしょうね、これもまた西洋人のように。
時のことは何も云ってない。時がわからん。時がわからなきゃ心はわからない。心がわからなきゃ時はわからない。相関連したものです。そして時がわからず、心がわからずということになっては、自分とは何かも決してわからないでしょう。だから時とか心とかを欠いた仏教には、自分とは何かは本当にわかるということは出来ないでしょう。
|