「1971年度京都産業大学講義録第16回」
【7】 大宇宙の本体は情
この、犬とか猫とか人とかに現われてるものを『心』と云う。心あるいは『情』と云ってもよい。大宇宙にはこの情というものが絶えず働いてる。人に働いてるだけではなく、犬にも猫にも働いてる。大宇宙に情というものがあって、それが働くから生物なん、特に人なん。染色体で伝わるものではない。
大宇宙の本体は情なんですね。大宇宙は情であると云いましたが、情が働く以上 ― この前自然科学は、自然科学して行くと、大宇宙には知や意があるという結論になってしまった。それを西洋人は知らないのだ、そう云いましたが、情、知、意みな働く。みな働くとすれば、大宇宙は一つのものです。それだったら『中心』がある。
大宇宙の中心はどこにあるか。こういう問題がある。どこを見ても中心なんかありそうにない。どこにあるとしても予盾である。だから中心は無い。西洋人なら云うでしょう。今の日本人でもそう云いかねない。
仏教はどう云ってるかと云いますと、大宇宙の中心は大宇宙の深みにあって、そこには『時間も空間もない』。大宇宙の中心は大宇宙の極く深いところにある。そこ迄くだって行くと、最早や時間も空間もない。
これ、西洋人、百ペん逆立ちしたって、こんなこと云えるはずない。時間、空間無しには何も考えられないとカントに代弁させたのが西洋人。本当にその通り。想像もなにもできゃしない。
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