b 岡潔講演録(22):【 8】 前頭葉的現象
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2016.11.07up

岡潔講演録(22)


「1971年度京都産業大学講義録第16回」

【8】 前頭葉的現象

 今人々は、欧米人の学問、思想、だけじゃありませんが、もっといろいろなものに従って、興奮と穢れとの中にいるんです。そしてピッツバーグ市の事件は、一口に云えば、これが『大脳前頭葉的現象』です。

 晴れた日の自然の美しさはよくわかるが、雨の日の自然の趣きの深さはわからない、と云うのが今の若い人達ですね。西洋人は絶えずそうだったし、日本人も今ではそうなって来てる。雨の日の趣きがわからなくて、晴れた日の美しさだけがわかる。こういうのを『刺激』を求めると云う。

 今世界の人々は、刺激から刺激と追い求めようとしてるんです。だいたい西洋の古典音楽だって、やはり刺激です。なんだか歌劇で歌ってるような気がする。悪く云えば阿鼻叫喚、大きな声を出してる。だから刺激です。

 刺激は刺激だけど、まだよかった。それがジャズ音楽に変わった。増々刺激ですね。からだを激しく動かし、大きな音を立てる。それを喜んでるんでしょう。刺激から刺激と行ってる、刺激の強いもの以外は喜ばない。しみじみとした深いものが良いのです、本当はね。が、それはわからない。

(※解説8)

 岡は1968年までは当時流行の学説を鵜呑みにして、前頭葉は「感情・意欲・創造」が働くのだから、前頭葉が本来の「人の座」としていたのだが、1968年以後はその考えをひるがえし、前頭葉は第1の心の自己中心的な「自我の座」であり、頭頂葉が第2の心の「無私の心の座」という構想に変わってくるのである。

 このピッツバーク市の事件はテレビで放送されたのだが、地元チームのパイレイツが野球の世界選手権に勝利したのが引金となり、全市が興奮と暴力と性本能の坩堝(るつぼ)と化したことをいうのであるが、岡はこれを「前頭葉的現象」だといったのである。

 後に詳しく説明する事になると思うが、第1の心の「自我」の構造は唯識論でいうと五感(前5識)と、意識(第6識)と自己保存本能のマナ識(第7識)の3層に別かれているのであるが、ここでいう「刺激」は五感(前5識)の過熱からくるのであるし、「興奮」は意識(第6識)の過熱からくるのであるし、「性本能」はマナ識(第7識)の衝動からくるのである。

 このピッツバーク市の事件は、その第1の心の「自我の発作」の典型的な例ではあるが、そればかりか、我々が日常的に刹那的な刺激や興奮を追いかけて、ビタミンCの発見者であるセント・ジェルジが警鐘を鳴らしたと岡のいう「狂った猿」となってしまうのも、この「前頭葉的現象」なのである。

 ただ、その辺のところを注意しなければならないのは、今日の大脳生理学はアメリカの影響を受けた「側頭葉理論」をやっと卒業し、「前頭葉」を再び肯定的に見直しはじめているように見えるのだが、45年前の岡は既に機械の座である「側頭葉」ばかりではなく、「前頭葉の限界」もただ1人指摘していたのである。つまり現代文明の元凶は「前頭葉」の「自我」にあると。

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