okakiyoshi-800i.jpeg
2016.11.07up

岡潔講演録(22)


「1971年度京都産業大学講義録第16回」

【10】 正岡子規と出世主義

 ところが、おれがおれがということを奨励するということは、明治の始めから始まったらしい。始めから始まったんではなく、もっと前から受け継いで来てるのかもしれません。何しろ日本の悪い癖は、応神天皇の時始まったんであって、随分よって来たるところ古い。で、多分もっと以前から来てるんでしょうが、ともかく明治以後、学校教育というものを始める頃に、『出世主義』というものを非常に奨励したらしい。これは教えられたから出来たものでなく、前から持ち越したものと思う。しかしそういうものがあったら、それをほめたもんだから非常に余計跋扈したものと思う。

 ともかく、こういう例があります。もう、驚くんだけど、司馬遼太郎に「坂の上の雲」というのがある。そこに子規のことが書いてある。子規は大学、南校、今の東京大学ですね、そこへはいった。ところが大学、南校へはいるほどの者は、何をやってもよいが、しかし何をやるにしても日本一にならなきゃいけない。

 子規は哲学が好きだった。ところが哲学には既に、同級生でしょうね、同級生に名前は忘れましたが、なんとかという男(米山保三郎)がいる。この男には到底及ばない。だから哲学をやったのでは日本一にはなれない。自分は一体どうすればよいんだろうということを、秋山なんとか云う、日本海海戦の時の参謀がいますね、秋山(真之)、その秋山君に相談してることが書いてある。驚いてしもう。

(※解説10)

 今は「アメリカンドリーム」という言葉がある。これは当然「出世主義」の人生観から生まれた言葉ではあるのだが、いわば「第1の心」の1人勝ち指向の「出世主義」なのである。しかし、ここで岡がいっている「出世主義」はそれとは別の東洋で生まれた「第2の心」の「出世主義」なのである。そこをよく見なければならない。

 この「第2の心」は利己的ではない「無私の心」といってよいのだが、実は「第2の心」をより詳細に見ていくと第10識「真情」、第9識「真如」、第8識「アラヤ識」と別れるのであって、第9識(知)、第8識(意)と下に下がるに従って不純物が混在してくるのである。

 その一番の特徴が「権威主義」、つまり「偉さ」であって、中国の儒教やインドの仏教は欠点として、その「権威主義」が非常に強いのである。この「偉さ」が人生観と結びつくと必然、この東洋の「出世主義」になるのである。

 岡がよく例にあげるのが「身を立て名をなし、以って父母の恩に報ゆるは孝の終りなり」という孔子の言葉であって、これが東洋の立身出世主義というのである。

 日本は本来「情の国」であって「偉さ」をいわない国柄なのだが、既に明治以前に儒教、仏教の影響を受けて非常に「出世主義」を目標にしていたのであって、この正岡子規も例外ではなかったようである。岡はある講義の終りにこういっている。「偉いとか、あかんとかいわんこと。名誉心を大切にしないこと。誠に卑むべきことです

Back    Next


岡潔講演録(22)1971年度京都産業大学講義録第16回 topへ


岡潔講演録 topへ