「1971年度京都産業大学講義録第16回」
【11】 運動会の登竜門
わたし達の頃になっても、当時の中学、と云ったら旧制中学ですが、出世主義を先生達は非常に鼓吹した。そして運動会の時のみんながはいって行く門、それを寄宿舎でこしらえたんですが、その門を『登竜門』と云う。登竜門と云ったら、出世ということを意味しますよ。つまり同じ色どりです。
まあ、こんなことばかり云ったんですね。今に多分持ち越してるんじゃないかと思いますが、自分が偉くなろうと思って頑張るのは駄目です。やめなければ。わたし、自分が偉くなろうと思って数学を研究したんじゃありません。研究したくて研究したんです。やはり研究したくて研究する、偉くなろうと思って研究するんじゃない、そういうためには、さあ研究しようと思うとほのぼのと面白くなって来ると、これが要るのかもしれませんね。それ無しには偉くなろうとでも思わなきゃ頑張らないかもしれない。
面白いからやる。やってる中に没入する。その時はなにくそとさえ思ってないでしょう。時々くたびれたり、あるいはいくらやってもわからんのに溜息が出るでしょう。その時はなにくそと思うでしょうね。それくらいのものなんです。
大脳前頭葉はそう使うべきものであって『自我』で動かしちゃいけない。自我は抑えるべきもの。非常にそこが穢れて見えるでしょう、例えばアメリカの事件見てみましてもね。
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