(※解説3)
岡のものは全てが独創的だが、「意識」というものに2つあるとは、なんと虚を突いた指摘ではないだろうか。私が下手な解説をするよりは、本文を丹念に読んで頂きたい。ただ1つだけ、私の思いつく「深層意識」の例をここであげておこう。これよ6年前に書かれた「春風夏雨」の「絵画」岡潔より。
「私は一度良寛の書を見たいと思っていた。(途中省略)私はそれを見ると、直ぐわかった。とっさで、何がどうわかったのかわからないが、一切がわかってしまったのであろう。良寛の書がいわば真正の書であることを、少しも疑わないようになったから」
ここで「何がどうわかったのかわからない」が深層意識の特徴である。現代の我々は意識を重視する西洋の影響を受けて、こういうわかり方ができなくなっているし、また嫌うのではないだろうか。
さて、文中には蕉門(芭蕉一門)の句が3つあがっているが、この私も時折下手で単純な俳句(私はこういう句の方が好きである)を作ることがある。その時に使っている、あの微かな独特の内面の意識は何だろうかと常々思ってきたのだが、それがこの岡のいう「深層意識」ではないかと思うのである。
山里は 人知らずとも 梅の春
白梅や 風は乱れて 雪と花 賢二
因みに岡の俳号は「石風」である。岡の戒名は「春雨院梅花石風居士」である。
春なれや石の上にも春の風
めぐり来て梅懐しき匂ひかな
この2句は私の家にかかっている岡の色紙であるが、岡は春雨であり梅花であり春風でもある。
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