(※解説2)
ここは「情」の2大要素を特筆した重要なところであるが、そればかりか西洋、東洋、日本の特徴を一掴みにしようとする、誠に岡らしくスケールの大きいところである。
岡は今まで「情とは何か」を深く探ってきたのだが、ここで明確な結論を得ている。1つは「情が存在を与える」であり、もう1つが「情が道義を与える」である。何と「情」というものの本質を突いた凄い言葉ではないだろうか。
これは日本人であれば「なるほど!」と実感を持つところだろうが、一方人類の哲学史上、画期的な原理の発見であって、この2つは「認識」というものと、「道徳」というものの根本原理そのものである。
特に「知には道徳か道徳でないかわからない」は今日の法律万能の法治国家の弱点を見事に突いている。
また、私のよくわからない東洋の「慮知心」であるが、東洋はあまり「情」を重視しないのは確かである。一般的に使われる「知情意」であるが、私はこの言葉はそもそも東洋から入って来たのではないかと思う。
「情」を重視する岡によれば「情知意」の順になる筈である。しかるに「知」を頭に持ってくるというのは知重視の傾向であって、そういうのが岡から見た「慮知心」というのではないだろうか。当然のことながら、この「知」は西洋の第1の心の「理性」とは別のものである。
そして「六道輪廻」についてであるが、岡はこの時期面白いことを言っている。第10識「真情の世界」に達している純粋な日本人は、最早六道輪廻はしない!ここは難しいところだが、これが1つのヒントになる。
最後に西洋の位置付けであるが、西洋は「情」を重視しないということは「ギリシャまで行ったってやはりわかるんですけど」と岡は言っている。
岡はどのような例を頭に浮かべているのだろうか。私の推測では多分、この講演録の(16)「嬰児に学ぶ」の(4)「ソクラテスの道徳観」あたりではないかと思うのである
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