(※解説4)
岡は日常使っている日本語の中から「知情意」に関するこのような言葉を探し出してくるのだが、そんなところにまで関心を集めているのかと私などは驚かされるのである。
「胸中をお察しします」というから「胸中」が情です。「あの人の心中がわからない」というから「心中」が「知」です。「腹中一物がある」というから「腹中」が「意」ということになる。
さて、「真情というものの形式化」であるが、これは甚だ難しい。「真情の中には時間も空間もない」といわれてもあまりピンと来ない。
そこで実例をあげてみたいのだが強いてあげれば、この講演録い(1)「情と日本人」の(3)「情の世界地図」の後半にある「禅師と母親」の話などが適例ではないかと思う。なにせ岡はこの話を聞いて、涙が止まらなかったというから。
「この30年、私はお前に一度も便りをしなかった。しかし、お前のことを思わなかった日は1日もなかったのだよ」といわしめた母親の心には、まさしく時間もなければ空間もないではないか。
また「2つの情は合一して1つになる」の例にしても、禅師から見れば自分の情と母親の情とは2つかも知れないが、母親から見ればしっかりと融合した1つの情ではないか。世のお母さん方はこれ程じゃないまでも、その実感がよくわかるのではないだろうか。
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