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2017.01.24up

岡潔講演録(23)


「1971年度京都産業大学講義録第23回」

【5】 不生不滅とは

 始は一口に云ってどうかと云うと、『懐かしさと喜びの世界』にいる。今でもそうです、ここ持ってますから。始めから終りまでそうです。これが『心の世界』。

 生まれた時はどんなふうだったかと云うと、生まれた時はわかりにくい。よくわかったのは初めて目が見えた時。始は生まれて42日目の朝、目が見えました。42日目の朝目が見えた。そうするとその時の有様は、おばあちゃんが始をだいてますと、そうすると始は、おばあちゃんの顔をじいーと見て、いかにも懐かしそうににっと笑った。で、一番始めから懐かしさと喜びの世界。今でも懐かしさと喜びの世界。

 これが生い立つまで来ます。わたしだと、大体三高へ入学までが、これが育てられたもの、三高以後は自分で歩んだもの、分かれますが、この全体を通じて、一口に云って、絶えずそうであって、今でもそう。懐かしさと喜びの世界にいる。

 だから人は、目が生まれた始め、というのはそもそも目が見えた始めから、目が見えたとき生まれたと云えますね。それまでは肉体は生まれてるがわかりゃしない。人の世を初めて見たその時から72年経っても、一口に云えば懐かしさと喜びの世界に住んでる。少しも変わらない。生れた時から出来上ってしまっている。

 推して思うに、過去無量劫遡っても、自分という懐かしさと喜びの世界はあったに違いない。これを『不生』と云う。生まれたものではない、いくら遡ってもあったものである。いくら遡ってもあったもので、例えば30万年前に生まれたというふうなものではないから、いくら経っても滅するはずがない。これを『不生不滅』と云う。

(※解説5)

 「不生不滅」という言葉はあるが、それが具体的にどういうものであるか、漠然として仲々わからない。一般的に「物」ではなく「心」というものが不生不滅だというのだろう。

 しかし、岡の指摘は具体的である。人が生まれて目が見えた時、既に「ニッ」と笑うのだから「懐かしさと喜びの世界」が不生不滅だというのである。人は常に心の奥底にそういう世界を持っているのである。

 人生とはその実感を忘れず持ちつづけるべきものであって、少なくとも教育は人が成人するまでは、その世界を忘れないようにするのが最大の使命だと岡はいうのである。これは社会問題の最大の解決法でもある。

 そもそも今までの常識のように、人がゼロから生まれてきて再びゼロに帰る、という考え方の方がおかしいのではないか。ゼロを積み重ねてどうして、単細胞生物ではなく人が生まれてくるのだろう。

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