「1971年度京都産業大学講義録第23回」
【5】 不生不滅とは
始は一口に云ってどうかと云うと、『懐かしさと喜びの世界』にいる。今でもそうです、ここ持ってますから。始めから終りまでそうです。これが『心の世界』。
生まれた時はどんなふうだったかと云うと、生まれた時はわかりにくい。よくわかったのは初めて目が見えた時。始は生まれて42日目の朝、目が見えました。42日目の朝目が見えた。そうするとその時の有様は、おばあちゃんが始をだいてますと、そうすると始は、おばあちゃんの顔をじいーと見て、いかにも懐かしそうににっと笑った。で、一番始めから懐かしさと喜びの世界。今でも懐かしさと喜びの世界。
これが生い立つまで来ます。わたしだと、大体三高へ入学までが、これが育てられたもの、三高以後は自分で歩んだもの、分かれますが、この全体を通じて、一口に云って、絶えずそうであって、今でもそう。懐かしさと喜びの世界にいる。
だから人は、目が生まれた始め、というのはそもそも目が見えた始めから、目が見えたとき生まれたと云えますね。それまでは肉体は生まれてるがわかりゃしない。人の世を初めて見たその時から72年経っても、一口に云えば懐かしさと喜びの世界に住んでる。少しも変わらない。生れた時から出来上ってしまっている。
推して思うに、過去無量劫遡っても、自分という懐かしさと喜びの世界はあったに違いない。これを『不生』と云う。生まれたものではない、いくら遡ってもあったものである。いくら遡ってもあったもので、例えば30万年前に生まれたというふうなものではないから、いくら経っても滅するはずがない。これを『不生不滅』と云う。
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