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2017.02.18up

岡潔講演録(24)


「情の発見」

【7】 老子は日本と縁が深い

 日本民族とは違いますが、中国という集団生活、それで中国を自分だと思う。やはり似たことになるらしい。老子の言葉、非常に味わい深い、縁の深いものを老子の言葉に感じる。やはり日本民族とは同じであって、如の里、そうだろうと思う。つまり、仙人の境地の本質的な部分は同じである。

 日本人には情的に大円鏡智、平等性智、妙観察智の三智がよく働く。情を自分だと思ったら既によく働く。日本民族という情を自分だと思ったらもっとよく働く。真情を自分だと思ってれば既によく働く。三智が情的によく働く。しかし成所作智だけはあまりよく働かないらしい。ところが、如の里には不随意的にではありますが(成所(じょうしょ)作智(さち)の親が働く。だから如の里のあるかぎり三智の方から、また時々作智の親が働くという立場から調べれば、段々わかってくるだろうと思います。が、ともかく、日本民族を自分と思ったらよく働く。日本人という情はちょっと変えられないものですね。

(※解説7)

 先に岡は「中国は知を中心に見ているから、革命が政治の生命だと思っている」といっているが、この辺は当然中国人、胡蘭成の言動からわかってきたことである。それもそのはずで、胡蘭成は意気投合した岡と組んで、「天下英雄会」なるものを結成し、当時の日本の保守系大革命を目論んでいたのである。

 しかし岡は日本人の性に合わない革命に関しては「そんなことしたら日本は死んでしまう。ソーッと持っていかなければ」といって、次第にその路線からは遠ざかるようになるのである。そのかわり前人未踏の「心の世界」へ深く深く分け入っていき、それに着いてこれる少数の人を育てようとするのである。

 それはともかく老子であるが、岡は中国文明の中では老子を最高峰とみている。老子の言葉「上善は水の如し」という「流体」の世界観や、情緒をあらわした「如」という言葉等から考えると、老子は第9識(知の世界)を突破して、第10識(情の世界)があることを既に知っている節があるからである。

 もう1つ言いたいのは、老子の説く赤子に帰れという「嬰児復帰(えいじふっき)」である。「汝等幼な児の如くならずんば、天国に入ることを得ず」といったキリストと、この老子は「嬰児復帰」の考え方を持っていることは確かなようだが、第9識(知の世界)にいるはずの孔子と釈尊にそういう言葉があったかどうか、もしあれば誰か教えて頂きたいものである。

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