(※解説7)
先に岡は「中国は知を中心に見ているから、革命が政治の生命だと思っている」といっているが、この辺は当然中国人、胡蘭成の言動からわかってきたことである。それもそのはずで、胡蘭成は意気投合した岡と組んで、「天下英雄会」なるものを結成し、当時の日本の保守系大革命を目論んでいたのである。
しかし岡は日本人の性に合わない革命に関しては「そんなことしたら日本は死んでしまう。ソーッと持っていかなければ!」といって、次第にその路線からは遠ざかるようになるのである。そのかわり前人未踏の「心の世界」へ深く深く分け入っていき、それに着いてこれる少数の人を育てようとするのである。
それはともかく老子であるが、岡は中国文明の中では老子を最高峰とみている。老子の言葉「上善は水の如し」という「流体」の世界観や、情緒をあらわした「如」という言葉等から考えると、老子は第9識(知の世界)を突破して、第10識(情の世界)があることを既に知っている節があるからである。
もう1つ言いたいのは、老子の説く赤子に帰れという「嬰児復帰」である。「汝等幼な児の如くならずんば、天国に入ることを得ず」といったキリストと、この老子は「嬰児復帰」の考え方を持っていることは確かなようだが、第9識(知の世界)にいるはずの孔子と釈尊にそういう言葉があったかどうか、もしあれば誰か教えて頂きたいものである。
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