「情の世界」
【3】 世界の各地で違う自分
人が何を自分と思っているかということですが、何を自分と思っているかは、世界の各地で違っているらしい。
日本ではどうかというと、「情」を自分だと思っているらしい。知・情・意の情です。日本人はみなそうだと思う。無意識的にですが。
情がこう思う。知や意がそれと違うことを思う。その時、ある場合は、人は知や意の云うところに従う。その時はつらい思いをするでしょう。ある時は、人は知や意がどう思おうと無視してしまって、情の思う通りに行為しようと思うでしょう。まずこうです。
それから、幸福という言葉をよく使いますが、幸福を幸福と感じる主体は何んであるか。これは明白に「情」です。知や意が幸福と思うんじゃない。情が幸福と思うんです。
また、人が人本然の情の命ずるところに従っておれば、自ずから道徳にかなっていますね。道徳とは何かと云えば、人本然の情の命に従うことです。その他どこからみても、日本人なら自分とは情だと云えばわかります。
ところが、そう思っているのは日本人だけらしい。東洋人は知・情・意と続く心、この心を自分だと思っているらしい。中国でも知が大事だと云う。仏教でも知が大事だと云う。
本当は情が働かなきゃ知が働きませんし、でなかったら明確な意志の働きようがない。情が根本なんです。心のその働きをはっきりみることが出来ないらしい。
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