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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【7】 2つの意識

 ところで、人はいろんな文明をつくったと云って威張っていますが、しかし、動物の中で本当に悪いことをするのは人だけです。他の動物はこれをやらない。

 人は自分の楽しみだけの為に鳥や獣を鉄砲で打ち殺して平気でいますが、こんなことをする動物はいない。実際、地球上の動物は人の為に滅ぼされてしまいそうになっている。これくらい悪い奴。この悪の根源はどこにあるか。大脳前頭葉。その主人公が自我です。

 ところで、情でわかると云いましたが、情でのわかり方ですが、晴れた日はすぐわかる。これは意識を通してわかる。大脳前頭葉でわかるんです。雨の趣き、これは意識を通しません。雨の趣きを確かめようなどと思って、意識を通そうとするとこわれてしまう。すなわち、意識を通さないでわかる。だから人には意識が2つある。

 表層の意識、普通に意識と云っているもの、これを通せば、意識を通したとわかる。もう1つは深層の意識。医学で意識と云っているのは深層の意識です。

 深層意識が全く無くなって再びかえらなかったら、その無くなった瞬間をもって、医学は人が死んだと認めています。医学は自然科学の1つで、五感でわからないものは無いという無茶な仮定のもとに調べていますから、正しく云っていることはむしろ少ないんですが、いつ人が死んだと認定するかということ、これは正しく云っている。

 ところで、医学で意識が無いと云っているこの意識は、意識を通さない。表層の意識とは別のものです。

(※解説7)

 ここは西洋心理学が対象としている意識と、西洋医学が対象としている意識と2つあるという岡の指摘であるが、我々は岡にいわれてみて初めて成程と思う一方、仲々こんなところまで気が回らない。

 今、巷で花盛りの西洋心理学では、こういう時にはこういう心理が働き、そういう時にはそういう心理が働くということばかりで、それでは仕事や日常の生活の知恵としては使えるだろうが、「人とは何か」を深く掘り下げるには余り役に立たないのである。これを「第1の心」の心理学という。

 一方、医学のいう意識のとらえ方は正しいと岡はいうのだが、医学はもともと自然科学の一分野であって、物質が究極の原因だとの前提から出発しているものであり、近頃は少し変わってきたかも知れないが、目には見えない「心」が体に影響するという前提は初めから取ってはいないのである。

 しかし、岡は最晩年、「心の濁り」つまり「無明」が多くの病気の原因になるとの考えに至るのである。次にそれを挙げてみたい。京産大講義録1974年第17回より。

 「西洋からきた無明に2色しかない。ものまね猿型無明とビールス型無明。ビールス型無明と云うのは、戦後急に増えたガン、肝硬変、脳溢血、心臓病、それから生まれたばかりの子の心電図異常。これらはビールス型無明。ある場合は全く無生物の如く、(ある場合は生物の如く)。だから形式的にしか(物事を)取らん。ある場合は周囲との協調を無視して生活現象を営む。だからあなた方そっくり、皆そう

 ビールス型無明とは、胡蘭成の「老子の自然学」からのヒントであるが、タバコのビールスはタバコに寄生している時は生物、タバコから取りだすと鉱物に変わるという。人にも似たようなのがあって、とても生物とは思えないような人がいる。このビールスに犯されているのではないだろうか。

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