(※解説7)
ここは西洋心理学が対象としている意識と、西洋医学が対象としている意識と2つあるという岡の指摘であるが、我々は岡にいわれてみて初めて成程と思う一方、仲々こんなところまで気が回らない。
今、巷で花盛りの西洋心理学では、こういう時にはこういう心理が働き、そういう時にはそういう心理が働くということばかりで、それでは仕事や日常の生活の知恵としては使えるだろうが、「人とは何か」を深く掘り下げるには余り役に立たないのである。これを「第1の心」の心理学という。
一方、医学のいう意識のとらえ方は正しいと岡はいうのだが、医学はもともと自然科学の一分野であって、物質が究極の原因だとの前提から出発しているものであり、近頃は少し変わってきたかも知れないが、目には見えない「心」が体に影響するという前提は初めから取ってはいないのである。
しかし、岡は最晩年、「心の濁り」つまり「無明」が多くの病気の原因になるとの考えに至るのである。次にそれを挙げてみたい。京産大講義録1974年第17回より。
「西洋からきた無明に2色しかない。ものまね猿型無明とビールス型無明。ビールス型無明と云うのは、戦後急に増えたガン、肝硬変、脳溢血、心臓病、それから生まれたばかりの子の心電図異常。これらはビールス型無明。ある場合は全く無生物の如く、(ある場合は生物の如く)。だから形式的にしか(物事を)取らん。ある場合は周囲との協調を無視して生活現象を営む。だからあなた方そっくり、皆そう!」
ビールス型無明とは、胡蘭成の「老子の自然学」からのヒントであるが、タバコのビールスはタバコに寄生している時は生物、タバコから取りだすと鉱物に変わるという。人にも似たようなのがあって、とても生物とは思えないような人がいる。このビールスに犯されているのではないだろうか。
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