「情の世界」
【8】 幸福と情
その他、例えば幸福という言葉、戦後よく使いますが、戦前どんなふうに使われていたかというと、人と人とがかなり長い別れをする時、そして相手が女性である場合、よく「お幸せに」というふうな云い方をする。幸福をこんなふうに使えば日本語です。
また、子供の将来を思って、この子の行く末が「幸せ」なればよいがっていうふうに使います。こんなふうに使ったのが日本語。
こういう言葉を出す心、情緒、これは深層の情。しみじみとした情緒。表層の情緒との比較は、この頃の幸福という言葉の使い方と比べてみたらよい。この頃の幸福という言葉の使い方は、これは日本語でなくてアメリカ語です。
日本人は意識でいうなら、深層意識の世界に住んでいます。この頃はもっぱら表層意識の世界にに住んでいる。表層の意識を通せば、必ず大脳前頭葉。大脳前頭葉を使ってわかれば、必ず表層意識を通す。表層意識の世界は大脳前頭葉の世界です。この頃の日本語は、だいたい表層意識の世界を描いている。
幸福って云ったら、真の幸福を幸福と感じる主体は情です。幸福とは、あえて云えば、情という薪が燃えているようなもの。そうすると暖かである。それが情、こんなふうなもの。
それで、より高い幸福は、薪がよく燃えている時におこる。それで、その人が情の深みに住めば住むほど、幸福の質は高い。
ところが、薪を燃やすのに、マッチで火をつけるとか、ともかくきっかけというものがいる。これが多くの場合、環境です。
その時マッチで火をつけるか、もっと大きなもので火をつけるかによって、薪の燃え方は変ってしまう。だからより高い幸福は、環境を変えることによって得られるんじゃなく、心の深みに住むことによって得られる。これが幸福というものの本質なんです。人はそれを知らない。
その住んでいく時に是非いるものは道徳です。人は道徳とは何か知らない。幸福とは何か知らない。人はどう住んでよいかわからない。
だから今の文明というものは、人がその中に住む家ではなくて、単に家を建てる為の素材にすぎない。すなわち、いまだ文明以前です。
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