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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【9】 孔子の仁

 どれくらい道徳というものを知らないかと云うと、西洋人に道徳とは何か正しく云った人はありません。東洋では、道徳のことを一番云ったのは孔子でしょうが、孔子は道徳の形式をいろいろ云いましたが、内容については「仁」であると云っている。

 仁とは何かって云ったら、真情のことです。情の濁った部分なんかを削ってしまってきれいにした情、真情が道徳です。仁です。

 「仁」と云わないで、「真情」と云ったら、孔子以後の今までの間に人はだいぶん良くなったんだろうけど、仁なんて云うものだから、何のことかわかりゃしない。

 日本でも儒教は形式ばかり覚えてしまって、内容については何んにもわかってやしない。効果あげられなかった。孔子はなぜ真情と云わずに仁と云ったのかと云うと、わからなかったからです。

(※解説9)

 ここも並の儒教学者とは桁が違うところである。先ず西洋はソクラテスからはじまって、本当の道徳とは何か知らないと岡はいうのだが、真の道徳は「人が先」という無私の心(第2の心)から生まれてくるものであって、西洋が仲々抜け出せない「自分が先」という自我(第1の心)の世界観からは、生まれるものではないからである。

 東洋で道徳を説いたのは孔子だが、その外形(形式)しかわからなくて内容は「仁」であるという。しかし岡によればその孔子でさえ「仁」とは何か、実はわからなかったというのである。それは当然のことであって、第2の心の中でも「知」を重視する世界観からは岡がいうように「真の道徳」は生まれるはずはないからである。

 今までの日本の儒教学者は孔子のいった「仁」とは何かをつかむためにさんざん苦労してきたのだが、実は皮肉にも孔子自身にもわかっていなかったと岡はいうのである。それが正確にわかるためには、東洋と日本の「心の構造」が違うということに気づく以外に方法はなかったのである。

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