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2017.05.02up

岡潔講演録(26)


「情の世界」

【12】 神々の長い教育

 情が自分だと日本人は無意識的にわかっている。意識的にはわかっていない。しかし、ものをちゃんとわかる為には、意識的にも無意識的にもわかり、両方しなきゃ不充分でしょう。

 この時人に出来ることは、わかってない人を意識的にわかるようには出来る。しかし、無意識的にわかってない人を、無意識的にわかるようには出来ない。これはやりようがない。

 だからアジアの中で日本だけが、情が自分であるということを無意識的にわかっているというのは、この土地の人々だけに神々が長い間教育したとでも考えなければ、考えようがない。ともかく、これはそういう言葉で云って一向にさしつかえのない、注目すべき現象です。

 無意識的にわかっているのでなければ、急にどうにもならない。日本人はそれが無意識的にわかっている。

 世界の文明というのは文明以前、人の住める文明じゃない。こんなもの、放っておいたら仕方がない。その為には情を自分だと教えるより仕方がないんだけど、その時無意識的にも情を自分だと思えるようになるまで本物じゃない。

 まあ、当分の間は、意識的に情が自分だと思えるようにすることです。その為には、無意識的に情は自分だとすでに思っている日本人に、意識的に情は自分だと教えてやることです。

 この頃の日本をみてみますと、これが人類の今の文明だ、実にひどいと思うでしょう。これが大脳前頭葉の世界です。これがいかに恐るべき世界であるか、知らなきゃいけません。これは上手に使わなかったら、まことに恐ろしいんです。

(※解説12)

 これが岡の「神国日本」の根拠である。「神国日本」などというと、今までは変な民族主義、国粋主義に取られがちだったのだが、「情が自分」だと無意識的にではあるが思っていることが、「神国日本」の真の根拠だと岡はいいたいのである。

 その「情」とは何度もいうように「人の喜びを喜びとし、人の悲しみを悲しみとする」ということであって、基本的にこの「心」がなければ世界の平和は実現しないのではないだろうか。今までさんざんもてはやされた「愛」では無力である。「愛」を盛んにいう地域で、反ってテロや戦乱が絶えないからである。

 意外とは思うが「愛」は第1の心の浅い「情」であって、よく耳にする「愛と憎しみのドラマ」というように、何かのきっかけで「愛」は「憎しみ」に変わり得るのである。更にまた、人の「意識」に訴えなければ人には伝わらないものも「愛」なのである。

 しかし、ここは微妙なところなのだが、「無意識的」に人と人とがつながっているというものでなければ、例えば東日本大震災の時のように「いざ」という時に役に立たないのではないだろうか。岡の説く「情」のみが無意識的に人と人とがつながっているものなのである。これを日本では「絆」という。

 今や世界ではテロや爆撃が止むことはない。しかし、世界を本当に平和に導こうとするならば、たとえ長い時間がかかっても先ず日本人が「日本の情」に目醒め、それを日本全体に広めて平和な国をつくり、その実績と自信とをもとにして、世界へその「日本の情」を広めていく以外に方法はないのではないだろうか。私はそう思う。

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