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2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【2】 真如(童心、第2期)(1)

 それ、3月でしょう。3月過ぎれば非常に変わります。それから、1年11ヵ月ぐらいのところで非常に変わる。その間ですね。だから人の中核は真情なんです。その上へ心が出来て、それを包むんですね。外から見れば包んだ心が見えるんです。

 それまでは見ようと思わなくても自づから心が見えた。ところが3ヵ月過ぎると、見ようとしなければ見えないというふうになる。まあそれ、説明やめておきましょう。努力感なしには見えない。なんだか心の透明度が少し減ったような、そういう気がする。

 それから、それまで無かったものがいろいろ出てくる。運動に関する心、運動したいとか、運動した後の感じとか。それから、自然数1、2、3というのがありますね。自然数1、2、3とはどういうものかということを書き表わすに成功した人は、数学の歴史は6千年ぐらいあるんですが、古来1人もない。それでいて、子供に算術を教えるのは易々と教えられる。よほど知力に故障のある子供でなけりゃ、教えるに困難を感じない。これは教えられる子供が、自然数というものが直ぐにわかるからです。わからずに算術やるということは出来ない。

 そうすると、この2つのことを合わせ考えますと、自然数の1を1とわかり2を2とわかる。そのわかり方は知的にわかるのではなく、情的にわかるんです。だから自然数の本性は情緒です。この1という情緒が顕著に現われる、この時分に。自然数という情緒は、まだ物質にはなっていませんが、一歩物資に近寄った情緒でしょう。これが顕著に出てきます。

(※解説2)

 岡はここで「真如」の世界を説明しているのだが、ここで最も注目をひくのは「自然数」である。自然数の1.2.3は数学の世界では一般に「知的」にわかるとされているが、岡によって初めて実は「情的」にわかるのだということがわかってきたのである。だから岡は「自然数の本性は情緒です」と断言する。

 岡によれば数学の歴史は6千年ぐらいあるというのだが、この「自然数とは何か」を言葉でいいあらわした人は古来1人もいないというのだから、これ1つ取ってみても岡の凄さがわかるというものである。それというのも西洋では及びもつかない第10識「真情」を発見したからこそ言えたのである。

 さて、子供に自然数がわかっているという証拠は何かというと、この時期の子供は岡によれば「一時に一事」を励行するという。ミカンを1つ口に入れてやると、そのミカンを一度吐きだしてからでないと次のミカンを受け取らないという風である。

 こういうようにこの時期の子供は、「一時に一事」をくり返すことによって自然数の「1」を、無自覚的にではあるが体得しているのである。

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