(※解説1)
先にいったようにこの「情の構造」がその中に含まれる「基礎的知識を考える」では、岡は最終的ともいえる自然科学批判を詳細に展開しているのだが、その解説についてはまたの機会にゆずりたいと思う。ここでは私は「心の構造」にのみ焦点を当てたいからである。
さて、そこで岡はいきなり発見したばかりの「真情」を持ち出してきているのだが、心の深さをさぐるためにはそれが鉱脈として地表に現れてきているところ、つまり人でいえば「童心の季節」を調べる以外に方法はないと岡は考えているのである。
そのことに岡が気づきはじめたのはこれより10年程前で、その機会をなかなか得なかったのであるが、1969年7月にやっと生まれてきたのが4番目の孫「始」だったのである。岡はその「始」の生い立ちを詳細に観察することによって、長く停滞していた「心の世界」の解明が急速に進んだのである。
岡はそのことをある録音の中でこう証言している。「この真情があるということは、わたしの4番目の孫を連続的に観察しましたからわかりましたが、それなしにはわからなかった」と。
心の最奥底に「真情」があるということは、解説(22)講義録第16などで触れた数学研究の方面や、「日本の心」の解明から相当わかってきてはいたのだが、最後の決め手はこの孫の「始」だったのである。「始」はこれ以上ないという絶妙のタイミングで生まれてきたのであって、これはまさしく「天の配剤」という外はない。
猶、「自分の心を自分の目で見たんではなかなかわからない。仏教はその見方で見たらしいんです」と岡はいっているが、ここは非常に大事なところである。なんだかこのことは達磨大師の面壁9年を連想する。
赤子の心を観察して「心の構造」を客観的に調べるというやり方は、これも人類の中では岡潔が初めてであって、誠に「科学的」手法であるといわざるを得ないのである。参照(10)「民族の危機」(13)「麦を育てるように」
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