「情の構造」
【3】 真如(童心、第2期)(2)
それから、目でものを云うことが出来るようになる。つまり私が孫の目をみますと ― これは5ヵ月半ぐらい経った時から後ですが、瞳を見ると無色の色が見える。それで心がわかる。これは何も私だけじゃない。東洋人はみなそうらしい。だから中国に、
君不看双眸(君みずや双眸の色)
不語似無憂 (語らざれば憂い無きに似たり)
こういう詩の句が有る。無色の色が出てくる。ところが色というのは感覚、感覚は刺激です。刺激は非常に物質的なものですね。その感覚という程ではないが、無色の色と感じる。感覚の方が出だす。一部物質に近寄るんですね。心が物質化してくる。
次の時期と比較して著しい特徴は、次の時期には心と物と二元出てくるんですが、ここではまだ心だけしかないんです。おばあちゃんに対すると、椅子に対すると同じ取り扱いです。みな心。物というのはまだ出てきてない。次の時期にならないと出来ない。だいたいこういう心で取り囲む。
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