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2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【4】 真情と真如

 仏教はだいたい唯識と云って ― これは仏教哲学です ― 心を層に分かって説明しているんですが、その1つ1つの層のことを識という。心の奥底、一番基礎を第9識と数えるんです。第9識のことを真如とも云うんですね。人の心だけではなく大宇宙の根底も第9識だって云うんですが、真如と云っている。大宇宙と云ったら、心と物と両面合わせてみた宇宙です。

 達磨大師がそれが諸仏の体だと云っているのが真如です。非常に大事にしているのが真如ですが、私は真情の外側を包んでいる心を真如とよぼうと思う。こうよぶと仏教の大反対にあうでしょう。仏教は明治まで1400年ほど日本を教化した一番強い力だし、今でも10万ぐらい僧侶はいる。仏教徒も多い。それが決して快く思わんでしょう。これを真如だとすれば、仏教徒はそのもう1つ上の真情を知らない。こういうことになる。だけどこれ、眼目だから云わなきゃ仕様がない。

(※解説4)

 岡は岡からみた「真如」の世界を詳細に描写したあと、仏教が説く「真如」の上にさらに岡が発見した「真情」があることを、ここで断言しているのである。

 そうすると仏教の大反対に会うだろうというのだが、大反対に会おうと会うまいと、未知なるものを発見して人跡未踏の「真理」を伝えることが、科学者岡潔の一貫した立場なのである。

 実際、岡は初期の一連の著作では仏教の世界観によって物事を考えていたのだし、岡の思想をわかってくれる可能性のあるのは、仏教を学んだ人に多いことも重々承知の上でのことなのである。

 しかし、岡のこの発見によって「日本の心」と仏教の世界観とは次元が違うということも初めてわかってきた訳で、この原理によってこれからの人類の大転換の可能性も生まれてくるのだから、たとえ仏教の大反対に会おうとも「致し方ない」と岡は考えていたのである。

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