「情の構造」
【6】 真情と日本の神々(1)
こんなふうなことしたのに、一番あずかって害があったのは仏教だと思う。だいたい、真情の中に住んだら、力と観念はきざさない。仏教の一派の光明主義という一宗は、大宇宙には中心がある。それがアミダ如来である。アミダ如来が大宇宙を支配している、一切智、一切能をもって支配している、こんなふうに云っていますが、支配という想念もきざさない。智という、能という、想念もきざさない。一切そんなものきざさない。
だから一切智、一切能をもって大宇宙を支配しようと思ったらアミダ如来は、第9識に住むより仕方ない。もう一つ上、第10識と云うべきでしょう、そこには住めない。そこに住んだら、想念さえきざさない。出来やしません。こんなふうになっているんです。
我々日本人は、日本人て、今日日本列島に住んでいる人達が日本人、昔からというんではない。日本人だけが情を自分だと無意識的に知っている。そこまで来てりゃ、もうあとは意識的に教えりゃいいんだから簡単に出来る。禅のような悟り方、いらない。意識的にわかればそれでいい。無意識的にわかってしまっているから。
意識的にわかってないものを、意識的にわからすことは人に出来る。だが無意識的にわかってないものを、無意識的にわからすことは人には出来ません。だから、そこをやってくれてあるから、それであと日本人だけなら簡単なものです。禅のような悟り方なんかいらない。
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