okakiyoshi-800i.jpeg
2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【9】 人とは真情の物質的表現

 真ん中の「真情」、それを包むのが「真如」、それから「アラヤ識」。三重に包んで、それから外へ生まれていくわけです。そうすると「マナ識」という心が出来る。西洋人の知っているのはこの心だけです。この心だけは肉体にとじ込められてある。つまり、マナ識が出来て、その上に肉体が出来る。あとの3つの心、これが深層の心ですが、これは肉体の内外の別なひろがり。

 だいたいこんなふうです。そうして出来て、自我が出来るんでしょう。こんなふうに出来ていくんですが、こういう有様を見て一口にどう思うかっていうと、人というものは真情(こころ)がだんだん物質的に表現されていくものだと思う。それで赤ん坊を見ると、だんだん外から見てよくわかるようになっていく。造化が人の心を物質的に描いていく。その絵筆がすすむ。それでだんだんよくわかるようになっていく。

 ここまでですが、推して思う。これは、もう、人全体そうだと思う。人というのは真情(こころ)の物質的表現だと思う。つまり、懐かしさと喜びの世界というのは、真情の世界でじかに見たら、それだけしか云えないのが、細かく云えるようになるんですね。小説なんかに書けるようになる。だが、畢境(ひっきょう)何を見てるかというと、懐かしさと喜びの世界。それ、光ですが、その影もありますが・・・

 人というのは真情、すなわち懐かしさと喜びの世界の真情、それの物質的表現である。これが基本の素描です。人とは真情の物質的表現である。だから物質を見て知らなきゃならんことは「こころ」ですね。真情です。

(※解説9)

 これは人だけに限ったことではないと思う。私の家の飼い犬「舞」は1才になるのだが、私をみると尻尾をムチャクチャ振って跳んできて私にじゃれつく。これは「懐かしさと喜びの世界」といえないだろうか。これは「動物も真情の物質的表現」であることを証明していることになりはしないか。

 私は以前にテレビで、卵子と精子が顕微鏡の中で結合するところを見たことがある。その結合した瞬間であるが、なにか喜びの光の波紋が周辺に拡散したように見えたのである。それもそのはずで精子は「懐かしい」から卵子に向かって一直線に進むのであるし、結合して「喜ぶ」から光の波紋が広がるのである。

 だから人だけでなく動物だけでもない、生あるものは全て「真情の物質的表現」といえるのではないだろうか。そういう目で世界を見直してご覧いただきたい、景色が違って見えると思う。それを忘れてしまっているのは、大脳前頭葉(自我意識)を持った人だけである。

Back    Next


岡潔講演録(27)情の構造 topへ


岡潔講演録 topへ