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2017.07.19up

岡潔講演録(27)


「情の構造」

【8】 アラヤ識(童心、第3期)

 それから、次は生後1年11ヵ月から2年5ヵ月ぐらいまで。2年5ヵ月すむと童心の季節が終わるんです。童心の季節というのは自我のまだ出来ない季節です。それ、だいたい2年5ヵ月です。1年11ヵ月から2年5ヵ月までの間、この一番の特徴は、心と物とが出来ることです。赤ん坊の心の中に心と物との二元が出来る。

 この1年11ヵ月を過ぎますと、急速に赤ん坊の心がわかりにくくなっていく。1月ほど経った時、実にわからなくなったなあと思った。それまでよくわかってたと思っていた。それが非常にわからなくなっていったなあと感じました。それまで心というのは流動体のような感じだった。それがなんか固くなって、半流動体になった。そういう感じがしました。知とか意とかがはっきりみられるようになるのは、矢張り童心の季節の第3期にはいってからです。その他にもいろいろ有りますが・・・。

 仏教は人の心は ― 衆生の心は、物と心との二元に分かって相対的に見ている、しかし如来は絶対者だから、総てのものを絶対とみている。物と心と区別してみない、そい云っています。そして、衆生の心のあるところをアラヤ識と云っている。ちょうどそうなる。これがアラヤ識です。アラヤ識と名付けたらいい。

(※解説8)

 ここではアラヤ識(第8識)の特徴が語られている。従来の一般的な唯識論では、アラヤ識は人と自然の根底を支えている最奥底の心ということになっているのだが、岡から見れば「心の世界」がだんだん引き延ばされていく訳で、そのアラヤ識は「第2の心」の中では最も浅い心という位置づけになるのである。

 だから岡からすればアラヤ識は純粋な心そのものの世界には程遠く、物質的要素がかなり入ってきているのであって、岡はそれを「半流動体」といっているのである。またここでは第10識の「情」ではなく、「知と意」の要素が見られると共に、「物と心」を相対的に見ることにもつながっていくのである。

 猶、「物と心を相対的に見る」とはどういうことか。先の(3)「真如の世界」で取り上げた、子供でいえばおばあちゃんと椅子と区別しないのではなく、はっきりと区別するということである。つまり外から見れば物、内から見れば心という「物心ニ元」の世界である。

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