「情の構造」
【11】 大宇宙の中核は真情(2)
大宇宙の中核は真情である。人の中核も真情である。2つの真情は、いつでも合一して1つになりますから、同じか別かと、そういう問いは意味のないことです。人の中核も大宇宙の中核も同じく真情、情です。それから、人の場合には、その外側に真如、アラヤ識が出来、それからマナ識が出来て、そして肉体がついていくんです。
自然の場合には、途中はよくわからないが、最後は自然界という映像が出来てくるわけです。これが肉体に相当するわけですね。途中はよくわからない。何故かと云うと、情と情は重ね合わせて1つに出来ますが、それから後の人の心の部分は濁ってまして、完全に重ね合わせて1つにするということは出来ませんから。
しかし、真如だとまだその濁りが少ないから、だいたい重ね合わすことが出来るかもしれない。仏教は、大宇宙の中核は真如であると云っていますが、ここまでぐらいは認めてもよいでしょう。
その次のアラヤ識となると、これはもうはっきり、空間というものもアラヤ識という心の中に出来てきますし、とても重ね合わされやしないから、どうなっているのかわからない。わからないが、人が自然を見る時、一口に云えば、アラヤ識の中で自然を見ているんだけど ― 仏教はそう云っていますが、これはだいたい正しいでしょう。
まあともかく、途中はよくわからないが、真情が人の場合も大宇宙の場合も実在で、大宇宙の場合について云うならば、これが物質化して映像となり、これが物質的に表現されて、その最後のものが自然となって現われる。そんなふうらしい。
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