「情の構造」
【16】日本歴史の上代
こんなもの、日本へ持ち込んだのは孔子です。それから念入りに育てたのは仏教。こういうおかしな色に長くかかって染めたの、取ってしまわないと、日本歴史どこをみてもうまくいかんのは、こんなのを持ち込んだからです。じゃあそれ以前、上代はうまくいっていたんだって僕云うんだけど、証拠を見せって云われると、そんなもの見せられやしない。(笑)
無理なこと云うなって云わなきゃしょうがない。(笑)
堯、舜の時のように文字があったら書いてあるんでしょうけど、文字がない云い伝えだから、おかしなことだけ云い伝えてある。あんなん、日本武尊とか、あんなもん、ちっとも云い伝えなくてもよかったんですよ。どんなふうに住んでいたかってことがわかりゃいいんだけど、ちっともなんとも云っていない。
今の日本人から逆に、こんなふうだったろうと伺うことは出来ますが、それを話すと時間がかかるから・・・。こういう日本人もいる、こういう日本人もいる、と推して思うのなら、上代はこんなふうだと云えんこともないんだけど。ともかく、懐かしさと喜びの世界に住んでいたんだと思う、上代は。
それ以後、その俤がかすかに残っているのは仁徳天皇の時ですが、あれはまだ弊害を持ち込んでから日が浅くて、あまり出てないんでしょう。しかし人の誉め方をみたら、人よんで「聖の世」とよんだと、この誉め方気に入りませんね。いろいろ王道政治のあの例この例を政治にあらわしたんでしょう。そういうことはあまり感心することじゃない。1つにとけ込んだ、ただ懐かしさと喜びの世界にする。
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